榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

この世の全ては「線」で説明できると、我々の常識を揺さぶる書・・・【山椒読書論(487)】

【amazon 『ラインズ』 カスタマーレビュー 2014年9月12日】 山椒読書論(487)

ラインズ――線の文化史』(ティム・インゴルド著、工藤晋訳、左右社)は、かなり歯応えのある本だ。何しろ、世の中の全てを「線」という視点から考察しようというのだから、尋常ではない。

「歩くこと、織ること、観察すること、歌うこと、物語ること、描くこと、書くこと。これらに共通しているのは何か? それは、こうしたすべてが何らかのラインに沿って進行するということである。私は本書において、線lineについての比較人類学とでも呼べそうなものの土台をつくろうと思う。おそらくそれは未だかつてない試みだろう。私がこのアイディアを友人や同僚に漏らしたとき、最初はきまって狐につままれたような顔をされたものだった。・・・しかしあらゆる場所にラインは存在するということに気づくのはわけもないことだろう。歩き、話し、身ぶりでものを伝える生物である人間は、あらゆる場所でラインを生み出す。ラインの制作line-makingは、声や手足の使用――発話や身ぶり、移動の際の――と同じように至るところで見られるばかりでなく、人間の日常的活動のあらゆる場面を包括している。したがって、さまざまなラインはひとつの研究領域をなしているのだ。本書が示そうとするのはそうした領域である」。

この世には、2種類のライン――糸threadと軌跡traceがあるというのだ。「しかし詳しく検討してみると、糸と軌跡はどうやら異なったカテゴリーのものというよりも、相互に変形しあうものだった。糸が軌跡に変化することも、またその逆もある。さらに、糸が軌跡に変化するときにはいつも表面が形成され、軌跡が糸に変化するときにはいつも表面が消失する。・・・編み込まれた糸であれ、書かれた軌跡であれ、それらのラインはみな運動し成長するものとして知覚される。それなのに今日私たちが問題にするラインの多くがかくも静態的に見えるのはいったいどういうわけなのか?」。

「そもそも人々は事物ではなくラインで構成される世界に住んでいるからである。結局のところ、そこに集められるすべての構成要素のライン――成長と運動の道筋――が結び合わされたものでないとしたら、モノ、そして人間とはいったい何だろうか? もともと「モノ」thingとは人々の集い、人々が問題を解決するために集う場を意味していた。語源が示すように、あらゆるモノはラインが集まったものである。私がこの本で立証したいのは、人間とモノの両方を研究することはそれらを成り立たせているラインを研究することに他ならない、ということなのだ」。

この基本方針に沿って、「言語・音楽・表記法」「軌跡・糸・表面」「上に向かう・横断する・沿って進む」「系譜的ライン」「線描・記述・カリグラフィー」「直線になったライン」と研究、考察が進められていく。

線の人類史、文化史。著者の、線という観点から全てを見直し考え直す、思索の気ままな散歩に付き合うのは、正直言って、いささか骨が折れる。