榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

福島で生きていくときに、どうしても必要な2つのこと・・・【情熱的読書人間のないしょ話(64)】

【amazon 『福島で生きていく』 カスタマーレビュー 2015年5月2日】 情熱的読書人間のないしょ話(64)

我が家の庭のモチツツジが明るい薄紫色の花を咲かせています。ハナグルマ(花車)という園芸品種ですが、モチツツジの仲間は昆虫の食害から花を守るため、花の萼や葉などにねばねばする粘毛を密生させています。

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閑話休題、2011年3月に発生した東京電力福島第一原発の原発事故から4年が経過しましたが、この悲劇を忘れてはいけないと、ブックレット『福島で生きていく』(木田惠嗣・朝岡勝著、いのちのことば社)を手にしました。

「ふくしまHOPEプロジェクト」(福島県キリスト教子ども保養プロジェクト。短・長期の休みを利用して、放射線量の低い地域に子どもたちを連れ、「保養」させるプロジェクト)を展開する二人の牧師による対談ですが、福島で生きることの難しさが伝わってきます。

「木田:いろいろな不安を抱えている現場のお母さんたちに寄り添う姿勢が今なお大切だと考えています。私の立場としては、外ではあまり主張しませんが、原発はとても危険なものだと思います。世界を見てみると、実際に核の問題から自由になった国はたくさんあります。そのような生き方を日本も目指すべきではないかというのが私の信念ですが、それをあまり前面に出してしまうと、いろいろな所に波紋を投げてしまうので、そのあたりが非常につらいところです。HOPEプロジェクト自体もさまざまな立場の人がいます。・・・HOPEプロジェクトに参加している子どものお父さん、お母さんは東電の関係者だったりすることもあるわけです。そうすると、そのような方々が放射能の問題を聞かされれば、『もう十分です。勘弁してください』ということになるでしょうし、立場の難しさのなかで葛藤することもあります」。

「本田:福島がこのように汚染されてしまったことに対して、福島に住んでいる私たちは怒りを覚えているわけです。ですが、外の人たちから『もう住めない所だ』と言われてしまうと、悲しいというか、そんなことを言わないでほしいという反発が起こるわけです。人間の心とは非常に複雑なものです」。

「朝岡:県の健康調査のデータの出し方、見せ方など、じつは中立客観的というよりも、ある結論に向けて落とし込み、はめ込んでいるという印象すら受けます。震災直後から低線量被曝による健康被害についてはさまざまな対立的な意見が出ていますが、そこでは科学対非科学的な主張がぶつかり合っているのではなく、前提になっているものがある。私たちもよく学んで、そういうものそれぞれを見極めるセンスを磨いていく必要があると思います」。

「朝岡:しかし現実に、現在進行形の事柄があって、全部終わった話ではないわけです。今もまだ、現実に汚染水も出ているし、何も止まっていません。にもかかわらず、結論ありきの中にデータをはめ込んでいくのです。それによって現実に起きていることが、『それは起こり得ない』という切られ方をしていきます。そうすると、ますます声をあげることができなくなっていくと思います」。「本田:そうですね。最初に結論ありき。もちろん、福島の現実がチェルノブイリ以上の大きな被害をもたらすものだと言っているのではありません。そこまではいかなくても、現状を見ていると、福島には福島特有の問題が出てくるのではないかと思います。福島の子どもの甲状腺がんについても、どう考えても胸にストンと落ちる数値ではありません」。

最後に、「これからの福島で生きるということ」として、生き抜くための知識を身につけること、他人の意見に惑わされず、自分自身で考えることの必要性が強調されています。「本田:一番の問題は、情報を行政が操作していることです。数字も巧妙に出していますし、私たちが生のデータを知ることができない仕組みになっているのはおかしいと思います。きちんと情報が公開されていることが、国民にとって非常に大切なことなのです。私たちが震災の支援をしていくなかで、みんなが情報を共有して考えられることがとても大切だとわかりました。・・・今の福島の状況では、発表されている数字を見てもだれも信用しません。新聞に数字は出ていますが、『どこまで本当なのかな』と半分本気、半分白けて見ている人が多いのではないかと実感しています。また、各地にモニタリングポストがありますが、あの数値を本気にする人は少ないし、『実際の線量はもうちょっと高いだろうな』とだれもが思っています。その情報を見ても本当のことがわからないと思っているので、真剣に見ない。正確な数字の出し方、情報の取り方、あるいは提供の仕方を福島の人々は求めていると思います。・・・今の福島は非常に面倒な状況になってしまっています。でも、いざなにか起きたときに行動できる仕組みはどうしても必要で、それを私たちがどのように自分で判断していくのか、その力をなにかの形で身につける必要があります。さまざまな良い情報源を、上手に利用する知恵の大切さを痛感しました」。

二人の発言が、声高に非難するのではなく、抑制の利いたものであるだけに、県外で暮らす私たちの心にも沁みてきます。