榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

ルネサンスを育んだのは懐疑的な精神だ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(339)】

【amazon 『ヤマザキマリの偏愛ルネサンス美術論』 カスタマーレビュー 2016年4月2日】 情熱的読書人間のないしょ話(339)

散策中に、遠目には真っ白に見えるオオシマザクラの並木を見つけました。近づいて花をよく見ると、ほのかに淡い桃色を帯びています。濃厚な桃色のヨウコウは目立ちます。高遠城址公園のサクラとして知られるコヒガンも淡い桃色の花を咲かせています。濃い桃色のヨコハマヒザクラも満開です。淡い桃色のエドヒガンも見つかりました。このように、ソメイヨシノ以外のサクラも頑張っています。

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閑話休題、『ヤマザキマリの偏愛ルネサンス美術論』(ヤマザキマリ著、集英社新書)は、ルネサンスを担った「変人」たちの列伝です。著者自身がかなりの「変人」ということもあって、ユニークかつ面白い一冊に仕上がっています。

「私にとっての『変人』とは、既成概念にとらわれず、型にはまることもなく、自在に自らの感性と技巧を操る、果てしなく自由な思想を持った人々を指しています。彼らがどのように『ヘン』だったのか――その答えは、ぜひこの後の本文をお読みください」。

「本質的な思考に必要なのは、何ごとも無条件には信じない力、つまり懐疑的な精神です。既存の社会秩序に対する疑問なしに、知性というものは生まれてきません。宗教からまだ完全に自由ではない西洋人より、宗教概念が希薄な日本人のほうが、精神的に自由だとはいえないと私は思います。誰もが既成の考え方に流され、『長いものに巻かれる』風潮は日本のほうが顕著です。いまの日本にいちばん欠けているのは、ルネサンスを育んだ懐疑的な精神ではないでしょうか」。この著者の鋭い指摘に、全面的に同感です。

「ルネサンスというと、天才たちが活躍し、素晴らしい創作物や思想が次々に生まれた時代だと捉えられがちです。でも、私はもっとシンプルに考えています。これまで『別にいいや』と思っていたこと、考えないほうが楽だと思っていたことと向き合い、そこで見つかった『ほつれ』を繕い直すように、自分の頭や手をつかって教養や知識をあらためて活性化してみる。自分の中ですっかり退化していた感覚を再生させるために、硬くこわばっていた殻を脱ぎ捨てる。もし、そこから何か新しい芽生えの手応えを感じることができれば、それがあなたにとっての『ルネサンス(再生)』です」。

多くの変人たちが取り上げられていますが、私にはとりわけピーテル・ブリューゲルが印象的でした。「後期北方ルネサンスの画家の中でも、ピーテル・ブリューゲル(1525頃~1569)は私にとって別格の存在です」。「ブリューゲルの自然描写は、どれもため息が出るほど素晴らしいのですが、ディテールをみていくと、当時の農村風俗の不条理さまでもが、驚くほど詳細に描かれています。中世のアルプス以北の農村では、家族が食いつないでいくために、小さな子どもをあぜ道の脇の溝に捨ててしまうことも日常茶飯事でした。またブリューゲルが住んでいた町では、罪を犯した人間を縛りつけ、生きたまま鳥に食わせるという残酷な処刑方法があったようで、彼の絵にはそのための器具も描き込まれています。ブリューゲルは農村の日常生活にひそむ、こうした悲惨さや残酷さを、余すところなく描きました」。ブリューゲルの農村風俗画を見るときは、こういう点まで目を凝らさないといけないのですね!