榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

辻邦生の素顔と創作の秘密が綴られた、妻の手になるエッセイ集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(344)】

【amazon 『辻 邦生のために』 カスタマーレビュー 2016年4月6日】 情熱的読書人間のないしょ話(344)

暖かい陽光の中、ウグイスの鳴き声を聞きながら、千葉・柏の大堀川沿いの満開のソメイヨシノ並木に導かれるままに歩いていったら、何と3.1kmも続いていました。黄色いセイヨウカラシナとほんのり桃色のソメイヨシノのコントラストが春の盛りを感じさせます。赤い春の新葉が鮮やかなレッドロビンとソメイヨシノとの取り合わせも絵になります。因みに、本日の歩数は16,208でした。

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閑話休題、『辻 邦生のために』(辻佐保子著、中公文庫)は、辻邦生と半世紀を共にした妻・辻佐保子が、夫の死から3年の間に、邦生を偲んで綴ったエッセイ集です。

邦生は最高の現代作家だと敬愛している私のような人間は、作品には表れない邦生の素顔が垣間見えると嬉しくなってしまうのです。

「結婚して間もないころ、トルストイやバルザックこそが大作家であると主張する主人に対して、もっと何げなくささやかな作品の方が心を打つと言って私が・・・」。邦生もバルザックを高く評価していたとは、嬉しい限りです。

「最初は桜とチューリップくらいしか知らなかった人に、私は長年かかって野草の名前を教え、季節ごとに咲くこのあたりの野の草花をあちこち探すのが、最近では楽しみの一つになっていた」。私も女房から草花の名前を教えられ、最近は大分詳しくなってきました。

「仕事の種類や日頃の暮らし方による違いはあるとしても、突然に活動を停止した一人の人間が長らく生きてきた痕跡は、ほとんど無際限に拡がっている。相続の手続きから遺著の出版や資料の整理まで、なにもかも慣れないことばかりであった。そんな中で、一日をつつがなく送るという単純な営みをなんとか続けることができたのは、主人が可愛がっていた三匹のクマちゃんのおかげだったような気がする。主人の外見や書くものからは、なぜクマの『ぬいぐるみ』なんかと思われる方も多いことだろう。なにしろ私でさえ最初はびっくりしたのだから。・・・それにしても、なぜ一人前の大人の男性がクマの『ぬいぐるみ』なんかを好きになるのだろう」。私もぬいぐるみが好きで、女房から大の男がと呆れられているので、邦生に親近感を覚えてしまいます。

「『邦生』という名前の由来を外国人に訊ねられると、『祖国に生まれるという意味。当たり前だけど』と説明してはおかしがっていた。今になって思うと、これも名前というものの象徴性を暗示しているように感じられる」。

「もともと主人は、『ぼくの趣味は哲学だ』と称するほど形而上学的思索が大好きであり、私が聞かされるのはいつもこれに関連した読書の話題であった。他方、自分には豊かな感性や直感力が不足しているという奇妙なコンプレックスもあった。このような思索と創作の並立(分離)を、若いころは冗談に『仕掛け屋』と『書き屋』と呼んでいた。それぞれに関した二冊の手帳があり、『仕掛け帳』と『打ち出の小槌』(創作メモ、小説の種がどんどん出てくるという意味)と名づけて使い分けていた。・・・これら二つの一見あい反するような性格、そしてその相互的な関連は、辻邦生という一人の小説家の本質をなしており、他の作家の場合とはかなり違うようだ。しかし、ある時期から、このような二つの資質の分離状態が、日常のさまざまな感覚的な喜びや楽しみとしだいに混然と一体をなすようになり始めた」。「『タネ帳』または『打ち出の小槌』と呼んでいた小さな手帳には、思いつくたびにメモした小説の『タネ』がしこんであり、書いたものからマーカーで消してゆくのが長年の習慣だった」。これは重要な文章で、邦生の創作の秘密が妻の目を通して明らかにされています。

「(特定の好きな作家の文章を書き写す習慣を続けてきた邦生は)プルーストではないが、文体模写や『もじり』が得意だったし、暗記している詩歌も沢山あった」。

「こうした人間観察の成果は、主人が命名した数々の『あだ名』の傑作としてわが家に定着し、いつしか架空の登場人物となって、日々の会話のなかで勝手に成長していった。不愉快な噂話や悪口が耳に入っても、腹をたてるかわりに、相手に『結婚詐欺』とか『布団屋』(意味不明)とか痛快な名前をつけては気晴らししていた」。これは、早速、真似する価値がありそうです。

辻邦生ファンには堪らない一冊です。