榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

本の中に旅情を見つけることができましたか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(353)】

【amazon 『本のなかの旅』 カスタマーレビュー 2016年4月14日】 情熱的読書人間のないしょ話(353)

千葉・印西牧の原の草深(そうふけ)の森と谷津田を巡る里山散策会に参加しました。緑に包まれた深草の森で春の息吹を満喫しました。イノシシの足跡が見つかりました。白色(=保護色)のニホンアマガエルを初めて見ました。ウスタビガの蛹の繭を見ることができました。谷津田では、遠くからですが、キジをカメラに収めることができました。森ではウグイスが、谷津田ではキジが、上空ではヒバリが鳴いています。安永7(1778)年に創建された丸山観音堂は荒れていますが、往時を偲ばせます。隣の大師堂では89体の大師像が祀られています。因みに、本日の歩数は20,761でした。

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閑話休題、『本のなかの旅』(湯川豊著、中公文庫)では、著者好みの18人とその著作が取り上げられています。

「宮本常一――歩かなければ見えないもの」は、こう始まっています。「『忘れられた日本人』(1960年刊)は、民俗学者・宮本常一の代表作とされている。代表作とされることに別に異存はないけれど、これは果たして民俗学の学問的著作だろうかという思いを、私はずっともちつづけている。この本は、思いきって、『旅の本』とでも呼んだほうがすっきりする。旅をした結果、できた本。また旅について人びとが語ったことを聞き書きした本。そんなふうに考えたほうが座りがいいのは、宮本常一が生涯にわたって旅をする人、歩く人だったからかもしれない。この歩く人は、地方を歩きながら、人びとの暮らしのなかに入っていって農業技術や生活改革の相談相手になる強力な実践者でもあった。民俗学者の座る場所から、もともとハミ出している」。『忘れられた日本人』を読んだ時、私も同様の印象を持ちました。

「一期一会。会って別れる。短い間だからこそ、出会った人の姿がくっきりと脳裡に残る。そこで湧き起こる感情あるいは思いを、旅情と呼ぶとするならば、このすばらしい文章を支えているのは、まさに旅情であるといっていい」。

「田部重治――そこに自由があるから」も興味深い章です。「日本の登山家といわれる人びとの書いた紀行のなかでは、田部重治のものがいちばん好きだ。しかしどこがいいのか、改めていおうとすると、ふといいよどんでしまう。文章が平明で淡々としていて、魅力を分析してこれだ、と差し出すのが難しいのである」。

「大正9年4月、田部は南秋川の上流、数馬村のひなびた宿屋にひとり泊っている。ウドやヤマメなど山里の美味を口にし、渓流の音に包まれて、その響きが真の自分と融け合っているような気がする、と思う」。

「菅江真澄――『北』にみいられて」のおかげで、菅江真澄という江戸時代の大旅行家の存在を知ることができました。

「R・L・スティヴンスン――至福のとき」によって、スティヴンスンが『宝島』、『ジーキル博士とハイド氏』などの小説だけでなく、旅行記も書いていることを知りました。「樅の木の林のなかにいる孤独、その孤独のなかで正体をつかめないあこがれがかすかに揺れる。孤独と憧憬は別個のものではなく、二つが一つになって至福の時間をつくり出しているかに見える」。「何事も起こらない小さな旅のことを語った、不朽の旅行記というべきものだ」。

旅情を掻き立てられる一冊です。