榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

シャルル・ボードレールに創作の霊感を与え続けた女性とは・・・【情熱的読書人間のないしょ話(606)】

【amazon 『鏡のなかのボードレール』 カスタマーレビュー 2016年12月5日】 情熱的読書人間のないしょ話(606)

東京・杉並の西荻窪、荻窪を巡る散歩会に参加しました。イルミネイトされた紅葉の大田黒公園は、幻想的な世界がもう入り口から始まっています。中道寺の鐘楼門は、鐘楼と山門を兼ねた珍しいものです。境内のヤマモミジの紅葉は息を呑む鮮やかさです。神明天祖神社は紅葉に包まれています。私が学んだ松溪中学校の隣の松溪公園の地下には縄文遺跡が眠っています。ここで石器時代の知見を深めた園山俊二の「ギャートルズ」のイラストが掲げられています。私が卒業した西田小学校、卒園した富士幼稚園を数十年ぶりで訪れました。与謝野鉄幹・晶子夫妻が晩年を過ごした住居跡が与謝野公園となっています。因みに、本日の歩数は20,920でした。

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閑話休題、『鏡のなかのボードレール』(くぼたのぞみ著、共和国)は、シャルル・ボードレールその人と、彼の詩集『悪の華』を理解する手を差し伸べてくれました。

「ボードレールに詩的霊感をあたえたとされる幾人かの女性のなかで、だんとつに深く、激しく、長期にわたって影響をあたえつづけた女性、それがジャンヌ・デュヴァルだった。19世紀半ばのパリという都会で、詩人が愛した、というよりも、ほとんど腐れ縁のような関係を結んだ、カリブ海出身の、黒人と白人の混血女性、つまりムラータである」。

「ふとしたきっかけから、(『悪の華』の中の)ジャンヌ・デュヴァル詩篇をいくつか訳してみてあらためて感じたこと、それはボードレールという詩人の苛烈さだ。そのボードレールが生涯にたった1冊の詩集しかもたない、と心に決めて36歳のときに出した100篇からなる詩集、それが『悪の華』である」。

ジャンヌを素材にした詩篇の中で、最も有名な「踊る蛇」の一節を見てみましょう。「ぼくの目が好んで見るのは、もの憂げな恋人よ きみのかくも美しき身体が、揺らめく布地さながらに その肌を煌めかすさま!  ふかぶかとしたきみの髪のうえで 鼻を刺す匂いに、青い波、褐色の波にのり 香しく、さすらう海のうえで、  ・・・調子をつけて歩くきみを見ていると、投げやりな美しさは、杖の先で身をくねらせる 踊る蛇にたとえたくなる」。

「宝飾品」の一節も見ておきましょう。「とても愛しい女(ひと)は全裸だった。おまけに、ぼくの心を汲んで、身につけていたのはじゃらじゃらと音をたてる宝飾品だけ、豪奢な装身具が醸し出したのは、ムーアの奴隷が 幸福な日々はかくやといった誇らかなようす」。

二人の関係を見るときは、当時の時代背景を考慮に入れる必要があります。「当時、アフリカや新世界アメリカス(南北アメリカとその周辺)、カリブ海のあちこちに植民地をもった国=フランスで、浅黒い肌をもって生まれた女性が生き延びるためには、実社会でさんざん苦労したことは間違いない。そんなジャンヌにしてみれば、褐色の自分の肌に魅入られて、大盤振る舞いをするお坊ちゃんのシャルルは『おめでたい人』に見えたであろうこともまた疑いの余地がない」。ボードレールとジャンヌが出会ったのは、1842年、彼が21歳の時のことでしたが、フランスの奴隷たちが最終的に解放されたのは1848年でした。

ボードレールとジャンヌを巡って、当時の人種差別を含め、さまざまな観点に立った考察が展開される本書からは、爛熟した頽廃的なパリの匂いが濃厚に漂ってきます。