榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

「湯女図」の先頭の女たちは、なぜ後方に鋭い視線を投げているのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(772)】

【amazon 『湯女図』 カスタマーレビュー 2017年6月6日】 情熱的読書人間のないしょ話(772)

チョウ観察会に参加し、26種のチョウを観察することができました。滅多に見られないアカシジミ、ウラナミアカシジミ、ミズイロオナガシジミをカメラに収めることができました。ルリシジミも見つかりました。イチモンジチョウは翅を開いたときと閉じたときでは模様が異なります。ゴマダラチョウ、コジャノメも見ることができました。サトキマダラヒカゲが手に止まっています。ダイミョウセセリ、キマダラセセリ、モンシロチョウ、スジグロシロチョウ、アゲハチョウも見ることができました。ビロードハマキというガの成虫が翅を閉じています。紛らわしいのですが、下方が頭部です。因みに、本日の歩数は12,791でした。

閑話休題、『湯女図――視線のドラマ』(佐藤康宏著、ちくま学芸文庫)は、「湯女図」というたった一枚の絵から、当時の社会情勢を読み取るという離れ業をやってのけています。私たちの知的好奇心を掻き立てる著作です。

「湯女図」には、右から左へと歩む6人の女が描かれていますが、著者は左側で後ろを振り向いている2人を仮にA、Bと呼んでいます。胸を張って前方を見詰めている3人目の女をC、それに続く女をD、後ろを振り向いている女をE、一番右側の笠を被った女をFとしています。

本来、この「湯女図」に続く右側に何かが描かれていた可能性が高いとして、いろいろな説が提出されてきました。湯女たちをからかうかぶき者(若衆)という説もありますが、著者は、吉原の遊女たちが描かれていたと推考しているのです。

「この画ほど振り返る女が鮮烈な画はない。『湯女図』の画家は、見られる立場の女が激しく見返す一瞬を画面に定着した。『桜狩遊楽図』の融和的な視線の交錯とは異質な緊張感がここには漂う。それゆえ、彼女たちに見られるFは、そしてFの背後にいる者は、湯女と反目し合う吉原の傾城たちであり、『公娼/私娼』の対立という主題がこの画に潜んでいると私は想像したのだった」。

「A・Bのすぐ隣に寒山の姿をしたCがいる(=Cを、中国・唐代の脱俗的な伝説的人物・寒山に見立てている)。現状では、彼女は、あらゆる視線や動作の働きかけからただ一人独立しているが、本来は右側に描かれていた遊女たちの蔑みと悪意のこもった視線を一身に集める主役だったろう。彼女は見られていることを意識しないまま颯爽と歩む。屏風絵だった『湯女図』に繰り広げられる視線のドラマの核心は、結局『見る女』A・Bと『見られる女』Cとの対比に要約されるようだ。おそらくこのような対比によって、画家と鑑賞者のイメージの中に生きる湯女の微妙な立場が表現されている。湯女たちは、吉原の遊女を背後に、いわば時流の外へ歩み去る者としてとらえられているのかもしれないが、しかし、画家に感傷はない。彼は、立ち止まり振り返る2人の女を湯女たちの先頭に配し、彼女らを通して状況を見返してもいるのだ。また、寒山の形象によって、湯女のあやうく逆説的な自由と聖性を表象し、視線の権力から解放してもいる」。

実に刺激的な、読み応えのある一冊です。