榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

掛け替えのない女を失って初めて、その大切さを噛み締める男の物語・・・【情熱的読書人間のないしょ話(848)】

【amazon 『雨月物語』 カスタマーレビュー 2017年8月15日】 情熱的読書人間のないしょ話(848)

雨が降ろうが槍が降ろうが(笑)、2つの図書館に行くことは私の必須項目です。図書館のグリーン・スクリーンのアップルゴーヤーについて、図書館の人から話を聞くことができました。名前どおりリンゴのように丸くなるもの、瓜型になるもの、細長いままのものなど、さまざまだそうです。

閑話休題、『雨月物語の世界――上田秋成の怪異の正体』(井上泰至著、角川選書)によって、上田秋成という人物と雨月物語の世界を理解することができました。

9つの短篇から成る作品集「『雨月物語』が怪談小説の『古典』となった本質的な理由を、作品の成り立ちと、後世の享受の両方から照らし出そうというのが本書の目論見である」。

「(人間の)運命の気まぐれをにわかには承引しない心が『執着』である。逆説的な言い方になるが、この『執着』による運命への反抗こそが、かえって運命を運命たらしめるのである。そして、怪異は単なる素材ではなく、秋成の『執着』の心が『実体化』するための必然であった」。

「『雨月物語』に描かれた2つのタイプの女性像からは、怪異の奥に秘められた深層意識が見て取れた。そのひとつは、当時抑圧されることの多かった女性に対して男性が無意識に抱え罪の意識であり、今ひとつは、女性の身体的魅力に誘惑される『生』の感情と、実は表裏一体の関係にあった『死』への不安・恐怖である。これらの意識は、平和な時代に生まれてきたことへの贖罪意識と同一線上にあると見てよいだろう。『雨月物語』の怪異は、秋成自身の執念の『実体化』が普遍的な人間性の深奥に届き、それが独特の美学を以て描かれているため、単に人を怖がらせたり、そこから通俗的な教訓だけを読者に示そうというだけのものに収まってはいない。そのことが『雨月物語』を怪異小説の傑作にした」。秋成の怪異の根源には、死への不安があるというのです。

『雨月物語』に収められた9編のいずれについても鋭い分析がなされていますが、一番、私の印象に残ったのは、「浅茅が宿」です。「第3話『浅茅が宿』は、心の通じ合わない夫婦において、なお夫の心を求め続けた妻の孤独と悲劇を描いた物語である」。何と、夫婦の心の不通と妻の孤独とは、現代にも通じるテーマではありませんか。

「勝四郎は7年ぶりに妻と再会を果たしたはずが、同衾後覚醒してみると、たしかにあったはずの我が家は『廃屋』となっており、妻の姿は見えない」。「妻の不在に、昨夜の妻の存在をどう解釈すべきか、勝四郎は思いを巡らせる。・・・ようやく塚に残された辞世の筆跡から塚が妻のものであることを知り、なおその歌は、ひょっとしたら帰ってくるのではないかと思い返す自分の心に騙されたと、夫を責めないものであったことから、夫は妻の愛と不在に慟哭する」。勝四郎は妻の亡霊と一夜の契りを結んでいたのです。

「浅茅が宿」には、掛け替えのない女の存在を失って初めて、その大切さを噛み締める男の真情が描かれているのです。

「秋成が、心の一致は可能かという問題に強くこだわっていたことは間違いない。・・・心の一致にこだわるということは、現実にはいかにそのことが難しいかに関心を寄せ、そこで生じる悲劇に焦点をあてることを意味する。どうして、秋成にあっては、そのことがくり返し焦点化されてしまうのか。これはあくまで仮定でしかないが、秋成(自身)の孤独と薄幸の感情が大きく作用していたと想像しておく」。

「秋成の人生は、彼自身『藤簍冊子』の序で総括しているが、大坂町人の規範である親譲りの家業を守ることにも失敗し、中年から始めた医業も放棄し、学問の世界でも宣長のような体系・門流を残すことなく終わった。つまり、世間的な意味では、何者にもなることができなかった。そのことに彼自身も相当自責の念があった」。

個人的に興味深いのは、秋成の激しい本居宣長批判です。宣長が、70歳の祝いの際、自分の肖像に、「敷島のやまと心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」と書き付けて門人に配ったことは、よく知られています。「これに対して秋成は、『胆大小心録』で宣長のことを『尊大のおや玉也』と切り捨て、それでも飽き足らず、次のようにやりこめる。『しき島のやまと心のなんのかのうろんな事を又さくら花(敷島のやまと心をなんのかのといい加減な説を又ほざいているよ)』。『咲く』と『ほざく』をかけたところがミソなのだが、宣長に対する秋成の『悪口』は辛辣というほかはない。神話を全面的に肯定して、自己をカリスマ化する宣長の信念・信仰の世界に対して、秋成は嫌悪感を抱くほかなかった。古文献を信じきることのできない醒めた精神こそ秋成の真骨頂だったからである。さらに、秋成の宣長への批判は毒々しく、執拗である。『ひが事をいふて也とも弟子ほしや古事記伝兵衛と人はいふとも(嘘まで言って弟子がほしいのか。『宣長の代表作<古事記伝>と乞食をひっかけて』乞食同様の人物だと悪口を言われても)』と悪意丸出しの狂歌をも詠んで罵っている。じれも学問上の論争の問題だけではなく、晩年の宣長にみられる自己のカリスマ化が、秋成には鼻について仕方なかったのであろう」。秋成は、4歳年上の宣長と国学上の論争を繰り広げたのですが、秋成の肩を持ちたくなってしまうのは私だけでしょうか。