榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

正直言って、天の邪鬼の私は、人気者の太宰治が好きになれません・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1892)】

【amazon 『太宰を読んだ人が迷い込む場所』 カスタマーレビュー 2020年6月19日】 情熱的読書人間のないしょ話(1892)

蕭々と雨が降り続く我が家の庭で、ナツツバキ、コクチナシ、アジサイが咲いています。

閑話休題、正直言って、天の邪鬼の私は、人気のある太宰治という作家、津島修治という人間が、どうしても好きになれません。自分がどうして太宰を好きになれないのか確かめたくて、『太宰を読んだ人が迷い込む場所』(齋藤孝著、PHP新書)を手にしました。

著者の齋藤孝は、「『太宰の毒』はメンタルが弱いと言われる現代人、とくに若者たちにこそ必要なものかもしれない。世の中に何となく感じる『生きにくさ』、自意識の強さからくる『虚飾・虚言の癖』、周囲から浮いてしまう『居場所のなさ』、上昇志向が空回りする『苛立ち』・・・そういった現代人にさまざまある『生きる苦しさ』が、『太宰の毒』と融和して、症状を軽減してくれることが期待できる」ことを目指して本書を刊行したようだが、個人的に興味深いのは、短篇『風の便り』を論じた部分です。

「私小説作家の木戸一郎と、彼の尊敬する大作家、井原退蔵との間で交わされた往復書簡のスタイルをとった作品である。これを読むと、木戸と太宰治、井原と井伏鱒二が重なる。というのも太宰は、中学生のときに井伏鱒二の『幽閉』を読んで感動。何度も手紙を送り『会ってくれなければ自殺する』と迫ったと伝えられているからだ。また二人は、太宰の高等学校卒業後に初めて会って以来、師弟関係になった。そればかりか井伏鱒二は、薬物中毒になった太宰を入院させたり、結婚の世話をしたり、故郷から送金してくるお金の管理をしたり、何くれと面倒を見ている。作品中に現実にあった二人の交流が、多少なりとも反映されているのはたしかだ」。

「それはさておき、この往復書簡が描く『本音のぶつけ合い』がおもしろい。文学上の行き詰まりに悩む木戸が、何かにつけて井原に絡み、井原のほうは木戸を褒めたり、けなしたり、恩情をかけたり、突き放したり。現代ではもうあまり見られなくなった、実に濃い人間関係が描かれている」。

●井原→木戸「君の赤はだかの神経に接して、二三日、自分に(君にではない)不潔を感じて厭な気がしていたという事も申して置きます」。

●木戸→井原「怒って下さい。けれども絶交しないで下さい。私は、はっきり言うと、あなたの此の優しい長い手紙が、気に食わぬのです。葉書の短い御返事も淋しいのですが、こんなにのんきにいたわられても閉口です」。

●井原→木戸「君の手紙を読むと、君は此頃ひどく堕落しているという事が、はっきりわかります。いい加減であります。君はまさしく安易な逃げ路を捜してちょろちょろ走り廻っている鼬のようです。実に醜い。・・・君自身の肉体の疲労やら、精神の弛緩、情熱の喪失を、ひたすら時代のせいにして、君の怠惰を巧みに理屈附けて、人の同情を得ようとしている」。

●井原→木戸「そんなに『傑作』が書きたいのかね。傑作を書いて、ちょっと聖人づらをしたいのだろう。馬鹿野郎。・・・駄作だの傑作だの凡作だのというのは、後の人が各々の好みできめる事です。作家が後もどりして、その評定に参加している図は、奇妙なものです。・・・『傑作』を、せめて一つと、りきんでいるのは、あれは逃げ支度をしている人です。それを書いて、休みたい。自殺する作家には、この傑作意識の犠牲者が多いようです」。

齋藤は、「往復書簡をつぶさに読んでいくと、木戸がこれだけ言いたいことを言えるのも、甘えられるのも、師の井原にすべてを受け止めるだけの度量があるからこそだろう」と評しているが、まさにそのとおりで、太宰と井伏の関係を彷彿とさせます。

太宰のことはともかく、井伏にますます好感を抱いてしまいました。