木村政彦はなぜ八百長のリングに上がり、力道山に負けたのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1110)】
野鳥観察会に参加し、20種を観察することができました。シジュウカラがアオムシ(チョウ、ガの幼虫)を銜えています。カワラヒワ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、ムクドリ、キジバトがいます。遠くの木の天辺のホオジロを見つけました。あちこちで、ツバメが巣作り、子育てに励んでいます。小川ではミナミメダカが群れています。因みに、本日の歩数は17,078でした。
閑話休題、『サブカルの想像力は資本主義を超えるか』(大澤真幸著、KADOKAWA)を読んで、激しい知的興奮を覚えました。
本書は、早稲田大学文化構想学部における大澤真幸の講義録が基になっていますが、こういう授業を受けることができる学生たちが羨ましい限りです。
とりわけ、私が衝撃を受けたのは、『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也著、新潮文庫、上・下巻)を題材として取り上げ、論じた箇所です。この「敗戦後の9年目にあたる昭和29年12月22日に、力道山とのプロレスの一戦に敗れた不世出の柔道家、木村政彦」の評伝には私も感銘を受けたのですが、大澤の読みの深さには脱帽です。
なぜ、木村ほど勝敗に拘った勝負師が、力道山との八百長のリングに上がることになったのでしょうか。「はっきり言うと、実は木村という人は、勝負の大義は何であるかとか、哲学が何であるかとか、そうした難しいことを考えるような人ではなかった。強ければいいという、いい意味でも悪い意味でも、ある意味で能天気な、あっけらかんとした人でした。・・・彼には牛島辰熊という先生がいました。・・・この人が木村の才能を、見いだした。先生ですから一回り上の世代になるわけですが、当時、日本一の柔道家でした。木村を単体で考えてはダメで、この牛島辰熊とセットで考えなければならない。ここが重要です」。この目の付け所が大澤の凄さを物語っています。
「木村自身には大義のようなものはない。しかし牛島先生の言うことは何でも聞く。牛島先生についていく。そうした意識しか彼にはなかった。そうすると牛島が持っている重い大義や哲学を、事実上、木村もまた持っているに等しい状態になるのです。つまり木村は、師である牛島を媒介にして、大義を持っていた。自分は持っていない。しかし、自分の代わりに尊敬する師が、それを持っている。そのため間接的に木村の勝負にも、大義や哲学が宿ると、そういう構造です」。
「本人には、あまり意識はなかったかもしれないのですが、実は木村にとって、牛島を裏切ることは、魂を失うに等しいことだったのです。その結果が、いずれ力道山に負けるという致命的な喪失につながる。最初の芽はすでに戦後間もない時、(牛島に隠して)ひそかにプロレス転向を画策しはじめた時に、生まれていたのです」。鋭い指摘です。
「非合理なまでに牛島を慕い、いわば魅了されていた木村が、なぜ彼を裏切って、八百長をやるような人物になってしまったのか。その理由を考えると、おそらくそれは、(太平洋戦争の)日本の敗北とともに、牛島という人から、木村を惹きつけていたプラスアルファの何か、微妙なオーラがなくなっていたからではないかと思います。・・・木村は、今までなぜか逆らえなかったその人を、平気で裏切ることができるようになるのです。しかし同時に、勝負に対して持っていた哲学や、大義も消えていく。やがて、つまらない試合もやってしまうことになる。そうした経緯だったと思います」。
この話を通じて、大澤が学生に言いたかったのは、こういうことです。「皆さんも、皆さんの親の世代も、敗戦の責任は直接的にはない。戦争を遂行した責任も、直接的にはない。しかし『だから敗戦の影響はない、大丈夫』ということにはならない。むしろ、敗戦について、生々しい実感のある人のほうが、まだその影響を克服しやすい。牛島と木村でいうと、牛島はまだ、敗戦を意識している分、対応しやすいところもあった。しかし、意識していなかった木村のほうは、むしろそれが乗り越えがたいものになってしまった。・・・僕らの場合はどうか。僕らは敗戦の後に生まれているから、いわば初めから(敗戦の)記憶を排除されているところから出発している。しかし敗戦の影響を、世代を超えて、いまだに70年間も受け続けているのです。そのようなことが起こりうる、ということを木村政彦の例は僕らに教えています」。