榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

諦めの悪い本屋たち・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1192)】

【amazon 『本屋な日々 青春篇』 カスタマーレビュー 2018年7月28日】 情熱的読書人間のないしょ話(1192)

台風前夜の空は真っ赤に染まっていました。夕闇の中をひらひらと飛び回るアブラコウモリたちに、今季初めて遭遇しました。エンゼル・フィッシュやセイルフィン・プレコたちは、台風接近など知らぬ気に泳ぎ回っています。

閑話休題、『本屋な日々 青春篇』(石橋毅史著、トランスビュー)には、本屋への熱い思いが籠もっています。

「このところ、訪れた書店で棚をきちんと見る意欲が減っていたのである。はじめは、考えがあってのことだった。どんな本をどんなふうに並べているかは、間違いなくその書店の意欲や指向、実力などを示しているが、それを静止画像のように記憶することが、書店を知ることから離れてしまうような気がしてきたのだ。情熱ある本屋の棚は、常に流れている。その時期に出た新刊のラインアップ、仕入れの出来具合、担当者の気分、その日の客の購入動向など、多くの要素が絡みあって生じた一瞬を僕たちは見ているだけであって、『この書店は、こういう棚だ』と流れをせき止めるような見方をするのは間違っていないか。棚は昨日とは違うし、明日もまた違う姿をしている。常に流れている、このことを意識したほうが、店の実像に迫れるのではないか」。そうは言っても、その本屋の棚を一瞥するだけで、その店の基本姿勢を感じ取ることができると、私は考えています。

保坂和志の『いつまでも考える、ひらすら考える』の前書きの一節。「本というのは、全体とか多数とかに向かって出版されるのでなく、同じ志向・関心・危惧を持っている一部の人に向かって書かれる。そういう人が手にするまで本屋の棚の隅にある」。こういう一冊に出会えたときのワクワク感は堪りません。

ある古書店主との会話。「僕は、新刊流通の取材をした期間がわりと長くあって、それがモノの考え方のベースになってるんだと思います。そのうえで、古書店や図書館もすこしずつ見る機会が増えて、新刊書店との違いを面白く感じている。いっぽうで、共通するところも感じる」。「新刊書店も古書店も図書館もクロスオーバーしていくっていう言い方を、何度もしてますよね」。「僕にとっては同じ『本屋』だから。一冊の本を、求めてる人、必要そうな人に届けるという原初的な部分だけが、この先は残っていくように思うんですね」。私の場合も、読みたい本を手にするために、新刊書店、古書店、図書館をフル活用しています。

ある取次に勤務する人間の、ある新刊書店の店長評。「彼は・・・たとえば、みんな普段は社会人としてまともな顔してるんだけど、いっぽうに異常さ、人に言えないような顔があって、それを隠して生きてたりするものじゃない? そこを忘れてないっていうのかな。薦める本からもそういう人間のボーダーラインみたいなところに惹かれているのを感じるし、ブログの文章でも絶妙に表現するでしょう。歳は離れてるけど、『いてくれて有難う』みたいな、そういう存在ですよ」。

ひぐらし文庫の原田真弓が5坪の小さな店内で語った言葉。「情熱を捨てられずに始める小さな本屋。それが全国に1000店できたら、世の中は変わる」。

宇田智子が『本屋になりたい』の中で書いていること。「独立し、自分の店を始めるのに必要なことは、勇気より確信ではないか。・・・沖縄の本だ、と思いついたとき、やるべき仕事が見えた気がしました」。これに対し、著者は、「土産物としても生活必需品としても、ここに沖縄の本が並ぶことには意義がある。私はそれをやってみたい――シンプルで、説得力がある」とコメントしています。

「『本屋』は死なない――石垣島で、岩手で、あるいは各地で、文字どおりのことが起きている。でも、僕は予言をしたのではない。傷つき、倒れることがあっても、本屋というものは相当にしぶとくて、必ず立ちあがってくる。僕は、そんな彼らの発する光に引き寄せられ、見聞きしたことを書いてきただけなのだ」。

私のような本好き、本屋好きは、本屋に関する本を読むと、頑張れとエールを送りたくなります。