榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

江戸時代の学問は、中国、朝鮮に学びながら、独創性を発揮していたのだ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1267)】

【amazon 『教科書には書かれていない江戸時代』 カスタマーレビュー 2018年10月13日】 情熱的読書人間のないしょ話(1267)

東京・世田谷の烏山、杉並の久我山を巡る散歩会に参加しました。高源院の鴨池ではコウホネが黄色い花を咲かせています。妙寿寺は風格があります。称往院の屋根の狛犬は逆立ちしているかのようです。専光寺には喜多川歌麿の墓があります。久我山稲荷神社は静寂に包まれています。街角に、享保15(1730)年銘の観音塔、安永5(1776)年銘の庚申塔が安置されています。20羽を超えるオナガの群れに遭遇したのに、不鮮明な写真1枚しか撮れず、残念無念。因みに、本日の歩数は21,484でした。

閑話休題、『教科書には書かれていない江戸時代』(山本博文著、東京書籍)は、江戸時代に対する私たちの理解を深めてくれます。

とりわけ勉強になったのは、江戸時代の学問の特殊性についての指摘です。

特殊性の第1は、実証的な姿勢です。「儒学にせよ国学にせよ、文献学的な厳密な校訂がなされ、それによって(荻生)徂徠や(本居)宣長のような独創的な思想が生まれている。こうした文献学的な態度は、当然のことながら蘭学研究にも発揮され、蘭書を読んで西洋の科学を受容しようという動きにつながった。もともと儒学の素養は、当時の知識人に必須のものであって、そうした素養のない者は、蘭学者のグループにも入れなかった」。蘭学にも儒学が必要という指摘には、目から鱗が落ちました。

第2は、実学志向です。「朱子学そのものが政治の学としての実学であるが、徂徠以後に急速に発展した経世学は、現実の政治に対する提言などを行うまさに実学だった。算術は、土木事業や財政管理などに必須の学問で、天文学も暦の改訂という大きな目標があった。蘭学は、解剖学書の翻訳から始まったことでわかるように、人の病気を治す医学の必要から始まっている」。この実学的な側面は、当時の中国、朝鮮の学問とは大きく異なっています。

第3は、学問の広がりです。「庶民も寺子屋で読み書き算盤の基礎を学び、場合によっては藩校で学ぶことも許された。学びに対する志向も強く、伊能忠敬が高橋至時に入門し、緒方洪庵の蘭学塾である適塾に全国から多くの入門者が集まったように、最先端の学問が私塾で教えられた」。当時の中国や朝鮮では、学問は支配者階級の出世のためのものだったのです。

「伊藤仁斎や荻生徂徠は、朱子学の儒学解釈に疑問を持ち、儒学の古典を読み、本来の主張を追究しようとして、かえって独自の解釈を生んだ。徂徠は、そのために当時の中国語も学んでいる。仁斎を古学派、徂徠を古文辞学派と言い、それぞれ学問の体系としては異なるが、これまでの学問的な権威を疑い、自らの目で直接古典にあたろうとする態度は共通している。政治学者の丸山眞男氏は、徂徠を日本における近代思想の出発点に位置づけた。朱子学の合理主義的な世界観は、ヨーロッパ中世のスコラ哲学に相当するものだとし、徂徠は『君主論』の著者マキアヴェリと同じく『政治』を発見したとするのである。その思想の特徴は、『道』を中国古代の『聖人(理想的な君主)』が作った政治上の諸制度を総称したものだとし、その『道』のもとで、人々がそれぞれに与えられた『職分』を果たす過程で、自己の個性や能力を発揮するならば、社会の平和が実現され、人が生きることの意味も見いだすことができるとした。また、徂徠は、8代将軍徳川吉宗から政治上の意見を求められ。幕政の改革案を『政談』にまとめている。徂徠以後。政治や経済に関する研究が経世学として大きな潮流となっていく。日本の儒学は、単なる訓詁学に終わることなく、独自の発展を見せ、学問としての政治学や経済学を打ち立てたのである」。私はかなりの徂徠ファンであるが、これほど徂徠の学問を的確に把握・表現した例を知りません。

徂徠と宣長の思想の共通点の指摘にも、目を瞠りました。「宣長の学問の特徴は、仁斎や徂徠と同様、古典に対する実証的な姿勢である。しかし、その主張は、『漢意(からごころ)』を排するというもので、儒学と真っ向から対立するものであった、・・・しかし、宣長は儒学を排除したが、その学問的方法は、古学と同じく実証的なものだった。そしてそれだけではなく、その思想は、徂徠とも共通点の多いものだったことが指摘されている。つまり、徂徠の言う『道』を宣長の言う『神』と言い換えれば、『あるべき限りのわざ』は徂徠の『職分』とほとんど同じなのである」。

次いで、日本の本草学(植物学)、天文学、和算(数学)、農書(農学)、蘭学(科学)にも筆が及び、私の知らなかったことがたくさん記されています。

本書のおかげで、江戸時代の学問を俯瞰することができただけでなく、中国、朝鮮に学びながら、ある点では、それを超えていたことを知り、誇らしい気持ちになりました。