榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

「戦場のピアニスト」の命を救ったドイツ軍将校はどういう人物で、その後、どうなったのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1616)】

【amazon 『「戦場のピアニスト」を救ったドイツ国防軍将校』 カスタマーレビュー 2019年9月20日】 情熱的読書人間のないしょ話(1616)

ノカンゾウが黄色い花を、ヒガンバナが赤い花を、タマスダレが白い花を、ケイトウが赤い花を咲かせています。ススキの花穂が秋風に揺れています。因みに、本日の歩数は10,856でした。

閑話休題、ドイツ軍占領下のポーランド・ワルシャワ、その廃墟で食料探しに夢中になっていたユダヤ系ポーランド人の若者は、ドイツ軍将校に見つかってしまいます。2002年(日本では2003年)に公開された映画『戦場のピアニスト』で最もドキドキさせられたシーンです。

尋問により、若者がピアニストであることを知った将校は、ピアノを弾かせます。その見事な腕前に感服した将校は密かに若者を匿い、食料を差し入れます。

これは、後に著名な音楽家となるウワディスワフ・シュピルマンと、ドイツ軍将校、ヴィルム・ホーゼンフェルトの間で実際にあった話です。このホーゼンフェルトというのは、どういう人物だったのか、そして、ドイツが敗れた後、どうなったのかが気に懸かっていました。『戦場のピアニスト」を救ったドイツ国防軍将校――ヴィルム・ホーゼンフェルトの生涯』(ヘルマン・フィンケ著、高田ゆみ子訳、白水社)が、これらの疑問に丁寧に答えてくれました。

「1938年秋、事態は急変した。11月9日夜、ドイツ全土でユダヤ人商店やシナゴーグが襲撃を受け、放火された。いわゆるポグロムである。ホーゼンフェルトは言葉を失った。これほどの暴力や虐殺行為はあり得ないと思った。<国中で、ユダヤ人に対するポグロムが起きている。どこもひどい有様だ。正義も秩序もない。偽善と嘘ばかりが横行している>」。

「1941年3月3日、ホーゼンフェルトは初めて、ワルシャワ・ゲットーの光景を目にした。・・・ゲットーの光景を前にして、ホーゼンフェルトは強い衝撃を受けた。<ひどい状態だ。ゲットーは我々への非難そのものだ。人々は気力を失い、飢え、アリの群れのように汚物だらけの街路をうごめいている。実にあわれで悲惨だ>」。

ホーゼンフェルトは、ユダヤ人迫害について知ったことをワルシャワ日記に書き記しています。<不運な人々は(アウシュヴィッツ収容所の)ガス室に送られ、毒ガスで殺害されるという。それが一番手っ取り早いというわけだ。尋問では、情け容赦なく殴られる。収容所には特別な拷問室がる。たとえば、こんな拷問がある。部屋の中に柱が一本立っていて、犠牲者は手と腕をくくりつけられる。柱を高く引き上げて意識を失うまで吊しておかれる。あるいは、かがんだ姿勢のまま箱に閉じ込められ、気絶するまで放置される>(1942年4月17日)。<恐怖があらゆる場所を支配している。威嚇、暴力、逮捕、連行、銃殺。もう日常茶飯事だ。個人の自由はおろか、人間の命すら、ないがしろにされている。しかし、どんな人間も、どんな国の国民も、生まれながらに自由を求める気持ちを持っているはずだ。それが侵害されてはならない。歴史は、恐怖政治は長くは続かないと教えている。ユダヤ住民の殺戮という大罪を犯している我々は、やがてしっぺ返しを受けることになるだろう>(1942年7月23日)。

1944年11月17日から12月12日までのホーゼンフェルトとシュピルマンのやり取りは、ホーゼンフェルトの手紙にもメモにも一切記されていません。今まで明らかになった指摘や証言によれば、60人以上のユダヤ人がホーゼンフェルトに命を救われているが、これらの人たちに危険が及ぶことを恐れて記録しなかったのです。シュピルマンの著書『ピアニスト――奇跡の生還』(映画『戦場のピアニスト』の原作)が1998年に復刊されたことによって、ホーゼンフェルトの行動が世に知られるようになりました。

「1945年1月17日、中隊長ホーゼンフェルトと大部分の隊員は敵軍に降伏した。捕虜になった詳細な経緯はわかっていない」。シュピルマンは命の恩人の収容先を必死に探すが、その消息を掴むことはできませんでした。<捕虜収容所はその間に他所へ移され、移転先は軍事機密だった。あのドイツ人――私(シュピルマン)がこれまで出会った軍服を着たドイツ人の中で、唯一人間と呼べるあの人が、無事に家に帰り着いているといいのだが・・・>。

1952年8月13日、ホーゼンフェルトはソ連の捕虜収容所で衰弱死します。享年57でした。

シュピルマンの妻、ハリナ・シュピルマンは、映画『戦場のピアニスト』を見て、こう語っています。<映画はとてもよくできていました。たいへん重要な作品です。監督がポランスキーで本当に良かったです。スピルバーグは『シンドラーのリスト』を、そしてロマン・ポランスキーは『ピアニスト』(=『戦場のピアニスト』の原題)を世に出しました。・・・ホーゼンフェルト氏はシュピルマンに対して、映画の字幕のように侮蔑的に『おまえ』<Du>と呼びかけることは決してありませんでした。彼は常に、敬意を込めた『あなた』<Sie>を使っていました>。

ドイツ軍にも、こういう人物がいたことを知り、少しホッとしました。