レオナルド、ミケランジェロ、ラファエッロの微妙なライヴァル関係・・・【山椒読書論(326)】
『ルネサンス 三巨匠の物語――万能(レオナルド)・巨人(ミケランジェロ)・天才(ラファエッロ)の軌跡』(池上英洋著、光文社新書)では、新しい試みが成功している。
「ルネサンスの魅力のひとつが、その時代を生きた人々が織りなすドラマであることもまた真実である。そのため今回は、徹底的に芸術家たちの人間的なドラマに絞りたいと考えた。それもレオナルドとミケランジェロ、ラファエッロという、同時代を生きた三人が二度にわたって同じ街にいた時期をとりあげた。彼らにまつわる資料が多く、かなり細かなエピソードまで辿ることができることと、彼らの人物像がある程度わかっていて再構築しやすいことがその理由である」。
「三巨匠の人間的な部分を強調し、感情移入をしやすくするために、試みとしてフィクション的な手法を導入した。そこで語られるエピソードは、すべて史実か、同時代の史料に基づいたものである。登場した人物たちも、すべて実際にいた人物ばかりである」。
1504年、フィレンツェで、1516年、ローマで、彼らはどう出会い、何を感じ、何を目標とし、どう生きたのか。
「こうしたことからわかるのは、そのあまりの偉大さに、ともすれば超然たる孤高の芸術家と思われがちなミケランジュロやレオナルドが、私たちと同じように家族を持ち、日々を生きていたことである。冷蔵庫の無い時代、毎日食材を買っていたこと。晩年に菜食主義者となるレオナルドも、よく肉を食べていたこと。あたりまえのことではあるのだが、食事をし、笑い、そして悩み、悲しんだり怒る姿に、彼らがひとりの人間であることを実感できる」。
フィレンツェに出てきたばかりの若きラファエッロは、こう感激している。「(自分の)先生とあのレオナルドが、さらにはかのボッティチェッリが机を並べて絵を描いていたなんて」。
三人が最初にフィレンツェで邂逅した時、「レオナルドはすでに50歳を迎え、その多彩な才能を開花させてくれたミラノ時代が終わり、かつて修業時代をおくったフィレンツェに戻ってきた時期にあたる。一方のミケランジェロはまだ30手前、ローマで鮮烈なデビューをはたし、フィレンツェへ凱旋してきた頃である。残るラファエッロは、ようやく20歳を過ぎたばかりの一青年にすぎない」。ミケランジェロが「ダヴィデ」の制作に取り組み、レオナルドが「ラ・ジョコンダ(モナ・リザ)」に着手した、まさに、その時なのだ。
「ミケランジェロがサン・ピエトロ大聖堂の『ピエタ』を成功させてフィレンツェへ戻ってきたのが1501年、そしてラファエッロがフィレンツェに出てきたのは1504年のことだが、レオナルドはそれより早く、1500年の春にはフィレンツェに戻ってきていた。このことは、フィレンツェのヌオーヴァ病院にあった銀行口座の出金記録からわかっている」というのだ。
私の大好きなチェーザレ・ボルジア(同時代のマキアヴェッリが『君主論』の中で、理想的な君主としている)とレオナルドとの関係に何度か言及されているのは、嬉しい限りだ。「彼(レオナルド)はその後、一年足らずの期間だが、風雲児チェーザレ・ボルジアの軍事技師となって北中部イタリアを転戦している」。
レオナルドはミケランジェロのことをどう思い、ミケランジェロはレオナルドをどういう目で見ていたのか。そして、ラファエッロはレオナルドとミケランジェロにどういう気持ちを抱いていたのだろうか。「ミケランジェロとはどうだ、そう(レオナルドが)問うと、案の定ラファエッロの表情が曇る。無理もない。『ミケラーニョロ(ミケランジェロの愛称)には学ぶことが沢山あるんですけど、なんというか、まわりがなにかとライヴァルっぽく煽るものだから・・・』 その表情はとまどいを隠せない。『でもあの人、たしかに偏屈ですけど、悪い人じゃないんですよね。面倒見がいいし、家族思いだし』 そこには、ミケランジェロへの敬意が滲み出ている。ライヴァル視されている相手だというのに。それに、ミケランジェロが、急に台頭してきたラファエッロのことを、自分の真似ばっかりだとうそぶいていると、レオナルドも聞いたことがある。おそらく、ラファエッロ本人の耳にも届いているに違いない。それなのに――。まったく意に介していないかのように、うわべだけ泰然とふるまっている私と、なんという違いだろう」。
レオナルド、ミケランジェロ、ラファエッロという個性豊かな人間と、その作品に関心を抱いている人には、欠かせない一冊だ。