プルーストを深く味わうのに恰好な特集・・・【山椒読書論(336)】
「思想2013年11月号」(岩波書店。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)は、「時代の中のプルースト――『失われた時を求めて』発刊100年」というタイトルのもと、まるまる一冊をマルセル・プルースト特集に充てている。
その中で、生きている間にもう一度は『失われた時を求めて』全巻を読み返したいと考えている私にとって特に興味深い論考は、アントワーヌ・コンパニョンの「1913年のプルースト」、鈴木隆美の「無意志的記憶の思想的背景――プルーストのイデアリスム」、小黒昌文の「ジギタリスの孤独――プルースト美学にみる『個』と『普遍』」、湯沢英彦の「『形式』の要請、人生の『記憶』――世紀転換期におけるプルースト美学の位置」の4篇であった。
コンパニョンは、「プルーストがみずから偉大な書物を書いたことを悟り、おのが小説の重要性と独創性を意識し、自分が大作家だと自覚したのは、いつのことか?」という問いを立てている。「1908年、無意志的記憶の着想を得たあと執筆を再開したときには、不安げに『これを小説にすべきか、それとも哲学的研究にすべきか、はたして自分は小説家なのだろうか?』と自問していた。・・・小説の成功が確信されたのは――私の仮説では――1913年のことで、プルーストが自作(第1巻)の原稿が印刷されたのを見届け、校正刷を読みかえして朱を入れていたときである」。
鈴木は、こう述べている。「(『失われた時を求めて』の)主人公は幼少期から作家になることを目指し、長い間小説の素材を探し求めたが、それを見出すことが出来ず無駄に時間を過ごし、齢を重ねてしまう。だが人生の最終局面において無意志的記憶という啓示体験を得て、自らの失われた過去を再発見し、その自らの過去こそが書くべき作品の素材であることを発見する。そのように過去を解釈し、描くこと、この作業こそが自らに与えられた天職としての作家の使命であることを悟り、主人公は作家として自伝的作品を書き始める。作家誕生の物語としての『失われた時を求めて』はこのようにして幕を閉じる」。「プルーストは社交の世界、恋愛の世界、そしてドレフュス事件から第一次世界大戦へと移行する社会を描くことによって、絶えずこの主体(=認識・行動の担い手)の袋小路、主体の絶望を作品化している。そこでは自らの出自を見失い、彷徨する主体が描かれているのだが、無意志的記憶を、まさにこうした断片化した主体を観照し、その生の苦しみから逃れるような体験として読むことも可能である」。
小黒は、プルーストをこう位置づけている。「あたかも『死と追いかけっこをするようにして』一冊の書物を編むことにその全生涯を費やし、未完のままに膨大な量の、そして圧倒的な密度のテクストを後世へと差し出したプルースト。自らを『絹糸の温もりの中に住む蚕』に喩え、昼を夜に変えて文章の『長い絹糸』を紡いでいた作家の生と作品は、『失われた時を求めて』の幕開けとなる『スワン家のほうへ』の刊行後100年がたった今日もなお、多様な関心の対象でありつづけ、書簡や草稿も含めたその言説はひろく読み継がれている」。
湯沢は、「プルーストにとって文学はまず何よりも生を取り戻すためのものだ」と喝破している。「(『失われた時を求めて』の)語り手の人生のさまざまな局面が、最終篇『見出された時』において、とくに大団円の『ゲルマント大公妃邸でのマチネ(=午後の集い)』において、次々に喚起される」。私は、プルーストはこの最終場面を描きたいがために、長大な『失われた時を求め』を書き続けたに違いないと睨んでいる。