榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

ドクター、製薬企業幹部、MR必読の、歯に衣着せぬ警世の書・・・【山椒読書論(460)】

【amazon 『医師もMRも幸せにする患者のための情報吟味』 カスタマーレビュー 2014年6月27日】 山椒読書論(460)

医師もMRも幸せにする患者のための情報吟味――ディオバン事件以降の臨床研究リテラシー』(山崎力著、SCICUS)は、恐るべきというか、勇気あるというべきか、滅多にお目にかかれない直言の警告書である。製薬企業も臨床試験も実名でばんばん登場してくるし、そのどこの部分がアウトなのかも明示されている。

「現実に、日本発の論文が査読に通りにくくなる事態も出てきているようだ」。我が国の臨床研究の不祥事が相次ぎ、その信頼性が国際的に揺らいでしまった今、ドクター、製薬企業幹部、MRのみならず、CRA(モニター)、CRC(臨床研究コーディネイター)、データマネジメント担当者にも読んでもらいたい本だ。著者は、国に対しても研究者主導臨床研究のルールの明確化を求めている。

「日本では、治験でない臨床研究に製薬企業の人間が直接関わることは、原則として許されない。アカデミア・研究者が主体となって行わなければいけないのだ。一方、海外では、GCPに則って行われる臨床試験に、堂々と製薬企業の人間が関わり、統計解析したり、データ収集やクリーニングを担当したり、データ解釈をしたり、論文を書いたりすることが許されるのである(ただし、厳格な品質管理・品質保証<モニタリング、監査、GCP適合性調査など>が必要である)。GCPでしばってしまえば、こういうこともできる」からである。

国によるルール変更を待たずとも、日本発の臨床研究のレヴェルを向上させる秘訣があると明かす。「今日からできる簡単な方法を一つ提供するとしたら、医学論文執筆に関する国際指針に統一するということだ。たとえば、CONSORT声明は、RCT(ランダム化比較試験)論文を書く際のチェックリストを示している」。

臨床研究における捏造・改竄といった不正行為は論外として、臨床試験を担当する者は「spin」をかけたいという誘惑に駆られ易い。「二次エンドポイントの結果や後付け解析の結果を誇張したり、ある特定のサブグループ解析だけを強調したり、『統計的に有意でない』ことを『効果は同等』と言い換えるような不適切な解釈。論文の結果を回転させ、目をくらませる変化球。ねじ曲げるという表現がぴったりだ。このような報告方法を、spinという」。

「カプラン・マイヤー曲線を見ただけで、ミスや不正を指摘できる人はまずいない」中で、見事に見破った実例として、エルゼビア・ジャパンの望月英梨が書いた2013年10月21日のミクスOnlineの勇気ある記事「ディオバン問題 JIKEI HEART Study LANCET誌掲載のメイン図表に重大な誤り」が引用されている。

ドクターとMRに対する注文は、こんなふうだ。「臨床家側も情報を批判的に吟味する能力を磨いて、結果として、そもそも(マイナス面を)隠さなくていい、むしろ隠さない方が得だということが普通になれば、MRさんも楽になることだろう。君の会社の製品が臨床試験でプラセボに負けていたっていいんだ。他に使う理由があるんだから。問題は君がネガティブな情報を隠したことだ。もし、こんなセリフをいわれたら、MRさんも複雑ではないか。自分は(会社も?)、とんだ無駄骨を折っていたわけだから。・・・ネガティブな情報も提供した方が、MRさんや製薬企業の印象は逆によくなると思う。もちろん、情報の受け手の臨床家側に問題がないわけではない」。ドクターは、MRの情報に騙されないように、もっと臨床研究の勉強をすべきであり、一方、MRや製薬企業幹部は現在のMR活動を思い切って見直すべきというのだ。

それでは、今後の研究者主導臨床研究はどうあるべきか。「明確に製薬企業の名前を出して、民間の臨床試験を請け負うCROと委託契約を結び、さらにCROと参加施設も委託契約を結んで研究を行」うことを推奨している。「さらに万全を期すなら、製薬企業と研究代表者の2者が共同でCROや各参加施設と委託契約を結ぶことも可能だ。いずれにしても、約束事には、ギブアンドテイクが大事だ。株式会社が見返りも思惑もなく、お金をタダでくれるなんてことはあり得ない、寄付の裏で何らかの利益を求めているのではないか、と勘ぐられても仕方がない。寄付のようなやりっぱなしは、結果として『タダほど高いものはない』ということになってしまいかねない。そこで、お金は出すが、ある程度ちゃんと権利を主張するという契約となるのだ。・・・臨床研究は、こうしたギブアンドテイクの上で成り立っているということを、きちんと公開することが大切である。そして公開するだけでなく、参加していただく患者に十分に理解・納得してもらわないといけない」。臨床家にして、臨床研究の専門家である著者の発言だけに、説得力がある。

さらに、「最初に、研究者が臨床研究のクリニカルクエスチョンを立てる。クリニカルクレスチョンというのは臨床的な疑問から出てくるものだから、『ARBが心筋梗塞を防ぐか』というようなクエスチョンは、あくまで研究者が立てるべきである。研究者がそれを立てたら、後は当該の製薬企業と情報を十分に共有しながら、共同でスタディコンセプトを完成させるという作業は決して悪いことではない。むしろ、それが本来の研究者主導の臨床研究の理想形の一つである」とまで言い切っている。

このところ、問題化しているCOI(利益相反)について、著者はどう考えているのだろうか。「(利益相反は)元々は英米法の中で事例集積を重ねて発達してきた概念で、conflict of interestの日本語訳である。・・・COIには、研究者個人と京都府立医科大学や東京大学といった組織のCOIの2種類がある。ここで、研究者も社会も、COIはワルではないという自覚を持つことが大事である。2つの利益が引っ張り合い衝突している(あるいはそのようにみえる)のがCOIだが、ただ衝突しているだけであり、そのこと自体が悪いのではない」。ドクターも製薬企業も、いじける必要はない、堂々と振る舞えというのだ。

「規模が大きくなればなるほど臨床研究は企業の支援も得て行わざるを得ず、ほとんどの研究者は、このCOIという『葛藤状態』の中にある。現実問題として、医療機関・医療関係者が特定の企業・製品にある程度関与する場面は避けられないのだ。医師・研究者のCOIは不可避的に生じてしまう状態なのである。そして、それを避けるのではなく、いかに管理するかという話になるわけだ。研究費をいただくことについて、何もコソコソしなくていいのである。利益が相反すること自体が悪いことではないのだから。お金をもらうほど、社会にも信用されて、研究者としても認められているんだというふうにも考えられる。そして、悪いことではないのだからこそ、お金をもらったら、周囲にすべてを公開することが基本中の基本である。COIを管理する第一歩は、研究者が自分のCOI状態を堂々と開示することである」。著者自身は、机上の空論に終わらせず、このことをちゃんと実行している。

上記以外にも、いろいろと勉強になることが記されている。
●「医療効果=自然治癒+プラセボ効果+ホーソン効果+実際の治療効果」であり、実際の治療効果は医療効果の一部に過ぎない。
●統計的有意差というものは、薬が持っている本来の力と会社の努力を掛け合わせた結果である。
●日本特有の現象として、治験と治験以外の臨床試験というダブルスタンダードがある。「治験」が日本固有の言葉だということを知らない人は意外と多い。治験には新GCPというルールがあるが、臨床試験は「臨床研究に関する倫理指針」に則って行いなさいと、罰則のないマナーが示されているに過ぎない。
●blindは差し障りのある表現だとして、最近は二重盲検を二重遮蔽ということが多くなった。
●臨床試験で一次エンドポイントを最重視するのは、野球があくまで得点だけで勝ち負けを決めるのと同じである。どちらのチームのヒット数やエラー数が多いか少ないかは二次エンドポイントに過ぎない。
●ハードエンドポイントの「ハード」は客観的、確固たる、間違いないという意味であり、ソフトエンドポイントの「ソフト」は主観的、曖昧な、間違っているかもしれないという意味で使われている。
●よくある誤解だが、日本の研究者主導臨床試験で多く採用されているPROBE法は、必ずしも差が出易い手法というわけではない。
●外的妥当性こそ臨床家にとって必要な情報だ。外的妥当性は一般化可能性ともいい、臨床試験の集団と目の前の集団が同じかどうかの目安を示す言葉である。この外的妥当性をRCTは保証できていない。すなわち、その試験の結果を「私(ドクター)の患者」に適応できるのかという疑問だ。
●PS(傾向スコア)をマッチングさせた症例集団間(A治療群と非A治療群)でイベント発症を比較することで、観察研究のデータから、擬似的にRCTに近い結果を得ることができる。前向き観察研究の未来は明るい。
●メディカルアフェアーズ部門は外資系製薬企業には昔からあったが、ここ数年で、武田、第一三共、シオノギといったほとんどの大手内資製薬企業でも設置している。治験などを担当する開発部門とは別に、市販後の臨床研究などをしっかり推進しようという部門である。医師や研究者などの専門家で構成され、マーケティングやプロダクトマネジャーとは根本的に違う存在だ。

我々が問題意識を持って読めば、本書は「著効」が期待できる特効薬となるだろう。