榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

誘拐され置き去りにされたジャングルで、サルに育てられた少女・・・【山椒読書論(464)】

【amazon 『失われた名前』 カスタマーレビュー 2014年7月17日】 山椒読書論(464)

コロンビアのジャングルでサルに育てられた少女の物語と聞いた時、思わず眉に唾を付けてしまった。ところが、読み出した途端、これは真実の物語だと確信した。なぜなら、数奇な運命を辿った母の記録をきちんととどめておきたいという娘の熱い思いが伝わってきたからである。

娘の草稿に手を入れる役割を担った作家が、後書きでこう語っている。「草稿は、母娘が何年にもわたって積み重ねた、語りと聞きとりの成果であり、聞き手(である娘)ヴァネッサの苦労と愛の結晶であった。・・・彼女(ヴァネッサ)は粘り強くマリーナ(母)に聞きとりを重ね、記憶のなかに登場する事物一つひとつに名前を与えていったのだ。無数のイメージの断片を手がかりに、それが何なのか絞り込み、名前を当てはめていった。たとえば、マリーナを育てたサルはおそらくナキガオオマキザルで、彼女が食べていたのはグアバやクルーバの実、木から落ちてきた実はブラジルナッツというように。これらのリアリティを物語に添えることができたのは、ヴァネッサの綿密な調査のおかげである」。

失われた名前――サルとともに生きた少女の真実の物語』(マリーナ・チャップマン著、宝木多万紀訳、駒草出版)は、推定年齢5歳ぐらいの時、男たちに誘拐されジャングルに捨てられた少女が、サルに育てられ、その後の人間社会での虐待に次ぐ虐待という過酷な経験を経て、推定14歳の時、遂に自分の名前を獲得するまでの苦闘の記録である。

「初めは私に無関心で、距離を取っていた彼(年老いたサル)が、今や私を守るべき存在として、そして友だちのように接してくれるようになったのだ。それからというもの、彼は喜んで私と食べ物を分け合い、毛づくろいし合い、絡まった私の髪のなかの虫を取っては食べてくれた。少しずつ、私の孤独や絶望は遠のいていった。時おり自分が失ったものを思い出しては、夜すすり泣くことはあったけれど、やがてそれもなくなっていった。木の洞のなかで体を丸めて寝ながら、上から聞こえてくるおなじみのサルたちの声に安らぎを覚えた。こうして私は、彼らの仲間の一人になっていったのである」。

「私の人生のすべてを占めていたのは、音と感情、そして日々の『使命』であった。私の毎日は生きるための切実な仕事で成り立っていた。食べ物を見つける、仲間を探す、危険を感じて安全な隠れ場を探す――それらが否応なく私の使命となっていた。そして、シンプルな生活様式を持つサルたちと同様、私の関心事はただ二つ。生の基本的な要求を満たすこと、そして自分の好奇心を満たすことだった」。

「彼ら(サルたち)は信じられないほど賢かった。創意に満ち、周囲の変化に敏感で、好奇心旺盛だった。そして何と言っても、物覚えが早かった。サルたちは友だちであると同時に、私の先生でもあった。しかし人間の学校とは違い、遊びのなかで自ら学びとっていくのだ。私もまだ子どもで普通の子と同じように遊びたかったから、この学びの庭は本当に楽しいものだった。この頃になると、木登り以外では若いサルたちにできて私ができないことはなかった」。

「私の物語を記録する作業を娘のヴァネッサとともに始めて、まずてこずったのが時間や月日の経過を正確につかむことだった。これをクリアするために、自分たちでそれをどこまで調べられるか、ちょっとした実験をした。まず、ハンターたちに森で発見されたとき、私は10歳前後だったとする。当時の私の体格と、誘拐された時点で5歳の誕生日が待ち遠しかったという記憶を考慮しても、10歳くらいというのはさほど見当違いではないと思う。・・・(髪は)月平均1.5センチ、1年では18センチ伸びるということがわかった。・・・これらの結果、ジャングル生活中に伸びた髪の長さは80~90センチ、期間は4~6年だったと推定できる」。

ハンターがジャングルから救い出してくれたと喜んだのも束の間、少女は売春宿に売られてしまう。必死の思いでそこを逃げ出した彼女にはストリート・チルドレンとして生きるという道しかなかった。その世界から助け出してくれると期待した女性は、何と犯罪塗れのマフィア一家の娘であった。その父親から犯されそうになった少女は、彼女に同情した隣家の女性の助けを借りて、修道院に逃げ込む。しかし、そこも安全ではなくなったため、飛行機で脱出。漸く、隣人の親友から家族の一員として温かく迎えられる。

「『あなたが覚えている自分の名前は、すべて奴隷だったときの名前なんだわ』。・・・『あなたに必要なのはね、お嬢さん』と彼女(隣人の親友)は言った。『自分らしい名前を持つこと。自分の名前を自分で選ぶのよ』。それから数日間、私は自分にぴったりだと思う名前を考えつづけた。ようやくこれだと思うのに決めると、マリアは司祭に頼んで私の洗礼式を執り行った。こうして私は正式に彼らの家族の一員として受け入れられた。その日、14歳くらいの私は、ルス・マリーナという自分の名前とともに教会を後にした。ルスは『光』、マリーナは『海』。特にルスというのが気に入っていた。長年の闇の後に光を見つける、というイメージが好きだった。・・・一つだけ確かなのは、私はもう動物ではなく、一人の人間として生まれ変わったということだ。これが私。私のアイデンティティだ。孤児ではない、家族もいる。私の名前はルス・マリーナ。こうして、私は新しい自分として歩き出した。羽ばたこう、自由に。これから始まる新しい人生へ、胸を膨らませて」。マリーナの前半生の物語はここで終わっている。苦労に苦労を重ねたが、本物の幸せを掴むことができて、本当によかった。