古墳を訪ねるときの心強いガイドブック・・・【山椒読書論(480)】
『大人の探検 古墳』(大塚初重監修、木庭将編集、有楽出版社)は、古墳に興味のある人だけでなく、それほど食指が動かない人も楽しめる一冊である。
「古墳とは、土や石で造られた古い時代のお墓です。1300年以上もの間、風雪に晒されながらも、じっと静かに佇んできました。しかし、古墳は雄弁です。古墳は、泥や土にまみれながら築造にあたった人々の苦労や、葬られた有力者たちの在りし日の栄華、そして悲しみながら彼らを弔ったに違いない遺された親族の思いなどを、今日の私たちに語り掛けてくれるのです」。
今回、実際に訪れた各地の13基の古墳について、古墳の研究を70年以上も続けてきた日本考古学界の泰斗・大塚初重に、俄か古墳ファンの木庭将がいろいろと教えを乞う形で「古墳探検」が進んでいく。
古墳から出土する多様な埴輪の説明の中に、「土偶:よく勘違いされるが埴輪ではない。縄文~弥生時代の祭器」とあるのには、驚いた。
例えば、群馬県高崎市の観音山古墳を訪れた二人の会話は、こんなふうである。「●大塚:よく学生にもいっているんですが、周囲を歩き回ると『どんな人がどうやって古墳を造ったのか』、『なぜここだったのか』というように当時の人の目線で考えることができるんです。古墳を楽しむには思い浮かべる力が大切ですから。●木庭:想像力が必要ってことですね。●大塚:そういうこと!」。「●大塚:古墳を味わい尽くすためには想像力に加えて、観察力も必要なんです。『絵を見る目』も養って古墳を楽しみましょう」。この二人は、いいコンビだなあ。
会話の後には、それぞれの「古墳の歩き方」として、アクセス、歴史スポット、癒やしスポット、ランドマーク、困ったときの連絡先、地図が添えられるなど、読者が訪問するとき役立つように配慮されている。
茨城県行方市の三昧塚古墳では、「●大塚:電車も車もない時代、水運はもっとも重要な移動・交通手段でした。つまり、この辺りは交通の便がよい場所だったんですね。そのことは、これから見に行く三昧塚古墳の被葬者のヒントになるかもしれません。●木庭:やっぱり、古墳は周辺環境も考えるのが大切なのですね。●大塚:その通り」。「●木庭:どういう方だったんでしょうか。●大塚:人類学の鈴木尚先生によると歳は若い。推定、18~19歳。やり手の青年豪族だったんでしょう。冠や副葬品から見て、おそらく、騎馬文化と何らかの関わりがあったんだと思います。ここまで立派だということは、ヤマト政権とも関係はあったでしょうね。実は、副葬品の中でちょっと変わったものがあったんです。青年の足元に小さな鏡と朱色の櫛があってね、その櫛が折れているんです。僕は、夫に先立たれた若い妻が、自分の身代わりにと、鏡をそっと置き、悲しみのあまり、朱を塗った櫛を2つに折って棺に入れたんだと思っています」。
奈良県桜井市のホケノ山古墳、箸墓古墳では、「●木庭:たしかに、考えてみると不思議な話ですよね。このホケノ山古墳と箸墓古墳は全然サイズが違う。どうしていきなり巨大化したんだろう。●大塚:80mのホケノ山古墳と280mの箸墓古墳じゃあ、土の量といい、工事の規模といい、とんでもない差があります。その間に何かがあったんでしょう。大きな社会的な変動が。そう考えない限り、説明がつきません。●木庭:何があったんでしょうか。●大塚:・・・邪馬台国かな、と僕は思っています」。
奈良県明日香村の高松塚古墳、キトラ古墳、石舞台古墳では、「●木庭:キトラ古墳といえば天井の天文図ですよね。●大塚:あれもね、天文学の専門家に言わせると、北緯38度付近、つまり平壌あたりから見た空らしい。すると、描いた人は今でいう北朝鮮の人かもしれないですね。●木庭:はるばる日本に来た渡来人が、ふるさとを想いながら描いたとしたら、切なくて涙が出ますね・・・」。ロマンを感じるなあ。
大阪府高槻市の今城塚古墳では、「●木庭:天皇陵・・・。被葬者はいつ頃の方なんでしょうか。●大塚:第26代、継体天皇と見て間違いないでしょう。学会でもこれは定説になっています。しかし、宮内庁は15kmほど離れたところにある太田茶臼山古墳を古くから継体天皇陵に指定しているんです」。
宮崎県西都市の西都原古墳群は、私が三共でMRとして宮崎県を担当していた時に何度か訪れたことがある。311基もの古墳が点在していて、古代の雰囲気を満喫することができる。「●木庭:先生が前からおっしゃっているように、中央からの視点だけにとらわれてはいけない、ということですね。●大塚:古墳時代だけの話でもないんです。歴史は繋がっていますから。弥生時代に、九州や関東、四国と中央がどのように繋がっていたのか。人と物の行き来が相当あったことがわかってきましたからね。文化の伝播速度が速いということは、各地域の力関係にも関わりますからね。もしかしたら、邪馬台国論争にもつながるかも。これからの研究が楽しみだね。しかし、西都原古墳群に関する大きな謎は年代の話だけではないんです」。本当に、邪馬台国論争の行方が楽しみだ。