榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

がんに罹り易いのは、ヒトが進化した代償だった・・・【MRのための読書論(109)】

【Monthlyミクス 2015年1月号】 MRのための読書論(109)

がんに罹り易いヒト

ヒトとチンパンジーの遺伝子は1%しか違わない。チンパンジーががんで死亡する割合が2%なのに対し、ヒトは30%ががんで死亡する。このようにヒトががんに罹り易いのは、ヒトが進化した代償だと、『病の起源 がんと脳卒中』(NHK取材班著、宝島社)は結論づけている。ドクターのみならずMRも、この「進化医学」の立場からの仮説に無関心ではいられないだろう。
 

がんと進化の関係

700万年前に共通祖先からヒトとチンパンジーが分岐した。ヒトは直立二足歩行を始めたことで手が自由に使えるようになり、オスは交尾と引き換えに、メスに多くの食料を運ぶことができるようになった。メスはオスに積極的に食料を運ばせるため、チンパンジーのような交尾可能を意味する繁殖期のサインを示さなくなった。交尾のタイミングが分かりにくくなったオスは、いつでも交尾ができるよう、常時、精子を作り続ける必要に迫られた。皮肉なことに、この仕組みががん細胞の増殖に利用されることになったというのである。

さらに、180万年前、ヒトは手先の器用さや知性を進化させる過程で、脳が急速に大きくなった。この脳の巨大化を通じてヒトが獲得した細胞を活発化させる仕組みを、がんが利用しているというのだ。脳細胞の材料となる脂肪酸を作り出すことで、脳のパワーアップに寄与したFAS(脂肪酸合成酵素)は、一方で、がんが細胞を増殖させるのに欠かせない物質となったのである。ヒトの知性の発達が、がんになる要因を増やしてしまったのだ。

「(DNAの)『コピーミス』は、その個体が生きている間に、何度も細胞分裂を繰り返すというメカニズムを持った、多細胞生物ならではの問題だ。単細胞生物は分裂の際に異常が起きても、それは違う性質を持った個体が新たに生まれるだけであって、個体を蝕む病にはなりえない。がんとは、生物が単細胞生物から多細胞生物に進化するにあたって背負うことになった、『宿命の病』なのである」。

遺伝学者のラスムス・ニールセンが、こう述べている。「私たちが発見したのは、精子の形成と、がん細胞の増殖に関連する、奇妙な進化的なつながりです。おそらく、精子に関わる遺伝子の変化が先に起き、その遺伝子をがん細胞が利用したのだと思います。突然変異は、生物に利益をもたらす一方で、弊害ももたらします。いわゆる『トレードオフ』です。これらの遺伝子の変化は、精子の形成には有利に働きましたが、がんという代償を生み出しました。こうした進化の一過程が、ヒトをがんになりやすくした要因になっているのだと考えています」。

新進気鋭の進化生物学者、メアリー・オコーネルが「注目しているのはFASという物質だ。FASはヒトはもちろん、魚やハエなど、ほぼすべての生物が持っていて、文字どおり『脂肪酸』を合成する酵素である。脂肪酸は、細胞を作る細胞膜などの材料となったり、脂肪をエネルギーとして蓄積したりするのに使われる」。「オコーネル博士たちは、ヒトがFASを作る遺伝子を大きく変化させたのは、大きくなった脳の活動を支えるためではないかと推測している。FASが脂肪酸を作る能力を他の動物よりパワーアップさせたというのだ」。ヒトの進化では、脂肪酸をより効率よく作るように遺伝子を変異させた個体が選択されるようになったというのである。

ガブリエル・ロネットらのFASの研究から、「がん細胞は、正常細胞のようにエネルギー(脂肪)を溜めておくためにFASを利用しているわけではないことが明らかになってきた。盛んに分裂を繰り返す際、新たな細胞の膜を作る材料として、FASが合成する脂肪酸を大量に必要としているのだ」。これらの研究を踏まえ開発中の「FAS阻害薬」と呼ばれる新しい抗がん剤が大きな注目を集めている。

脳卒中と進化の関係

250万年前、手先の器用さを発達させるため、ヒトの脳はより多くの血液を必要とするようになった。大量の血液が流れる、血管が枝分かれしたり曲がったりしている箇所の薄い血管壁には大きな負担がかかり、膨らみ易く、出血し易くなる。このように、脳卒中はヒトが発達させてきた運動能力の代償だというのだ。