仇討ちで有名な曽我兄弟が生まれた地に咲き誇るカワヅザクラ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(44)】
静岡県・伊豆半島の天城トンネルを経て、河津町のカワヅザクラ(河津桜)を見に出かけました。河津川の川面の陽の煌めき、カワヅザクラの濃い桃色とナノハナ(セイヨウアブラナ)の黄色の絶妙なコントラスト――一足早い春を女房と満喫することができました。ここは、平安時代末期に、仇討ちで有名な曽我兄弟の父・河津祐泰の館があった地で、兄弟もこの館で生まれています。因みに、本日の歩数は13,122でした。
幼い頃、夢中になって読み耽った講談社の絵本『曽我兄弟』(布施長春画、千葉幹夫文・構成、新・講談社の絵本)を読み返したくなりました。
「いまから八百年あまりまえのことです。伊豆国(静岡県)の領主のむすこ、河津三郎が、山で狩りをしたかえりみちのことでした。木かげから、弓矢で三郎をねらう、男たちがいました。この男たちは、三郎をころして、伊豆国をわがものにしようとする工藤祐経に、命令されていたのです」に始まり、その後の18年に亘る艱難辛苦が描かれ、遂に、「十郎が二十二さい、五郎が二十さいのときです。将軍頼朝が、富士山のすそので、大がかりなまき狩りをすることになりました。祐経をうつぜっこうのきかいです」と続く文章の切れのよさと、絵の凛々しさは、昔のままです。この事件は、源頼朝の寵臣・祐経と、祐経の一族で、曽我兄弟の祖父・伊東祐親、父・河津祐泰との間の所領争いに端を発していること、曽我兄弟の仇討ちには、黒幕・北条時政の秘かな使嗾・援助があったという説があることなどの史実はさておき、曽我兄弟が好きで堪らない浪花節的人間の私なのです。
さらに、大好きな三波春夫の長編歌謡浪曲「曽我の討入り」を聴きたくなってしまいました。CD『三波春夫 長編歌謡浪曲 全曲集』(テイチク・レコーズ)には「曽我の討入り」だけでなく、赤穂浪士の討入りに題材を得た「俵星玄蕃」「赤垣源蔵」「立花左近」なども収められています。
「曽我の討入り」では、たった二人きりで、厳重に警備されている陣屋に討ち入った曽我十郎祐成(すけなり)と五郎時致(ときむね)の兄弟が、五所舎人の五郎丸の情けに助けられ、遂に父の無念を晴らすのです。
ただし、絵本と浪曲とでは、五郎丸の役割が異なっています。