玄宗皇帝と楊貴妃の恋を詠い上げた白居易の「長恨歌」・・・【情熱的読書人間のないしょ話(95)】
昨晩、女房の「ヤモちゃんが来てるわよ!」との声に、キッチンの曇りガラスを見ると、彼(彼女?)の定位置にニホンヤモリが腹を見せて張り付いているではありませんか。今年は例年より顔見せが遅れていたので、女房と「体調が悪いのだろうか?」と心配していた矢先でした。吸着性のある5×4=20本の指をしっかり広げ、明かりに誘われてやって来るガなどの小昆虫をじっと待ち構えているのです。これから毎晩、秋口まで休まず出勤してくることでしょう。
閑話休題、『新唐詩選』(吉川幸次郎・三好達治著、岩波新書)を読み返したら、隣に並んでいる『新唐詩選続篇』(吉川幸次郎・桑原武夫著、岩波新書。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)にも手が伸びてしまいました。
白居易(白楽天)の「長恨歌」の解説の中で、ヒロインである絶世の美女・楊貴妃について興味深いことが書かれています。
先ず、「長恨歌」という作品について――「彼(白居易)自身の評価いかんにかかわらず、これは中国でもたぐいまれな甘美な詩である。白居易の詩のうちおそらくは最もうつくしいものである。うつくしいというのは、言葉の表面ばかりのことではない。また物語の美しさばかりではない。詩人の心情のうつくしさは、この詩のなかに、おしみなく、かたむけられ、かがやいている」。
「詩は叙事詩の体裁であって、のべるところは、彼の前の世紀の偉大な皇帝であった玄宗皇帝と、その愛人楊貴妃との恋物語である。玄宗は、李白、杜甫の時代の皇帝であって、唐の国勢のもっとも充実した時代に、45年という長い在位の時間をもち、長い治世の前半に於いては、唐の国勢を一そう上昇させ、後半に於いては、それを下降にみちびいた。下降の原因は、楊貴妃への溺愛にあったといわれる。そうしてけっきょく、玄宗の親任していた外国人の将軍、安禄山が、叛旗をひるがえすことによって、世界は混乱におち入り、楊貴妃は、混乱のうちに殺される。愛人を失い、帝位を皇太子にゆずり、太上皇となった玄宗の晩年は、至って寂寞であった。詩はこの二人の貴人の悲劇を、小説的に、死後の世界にまで構想をひろがらせつつ、詠ずる」。白居易35歳、文官試験に合格して、陜西 省の事務官になったばかりの時の作品です。
楊貴妃について――玄宗の後宮入りした楊貴妃は、その美しさで人々を圧倒します。「そこには粉(おしろい)、黛で化粧をこらした美人が一ぱいいるが、そのすべてがみずからの顔色、容貌を、ゼロと感ずるほどの美しさ」だったのです。
「楊貴妃はうつくしいばかりでなく、大へん気てんのきく、聡明な女性でもあった。・・・天子の夜の時間は、専ら彼女一人に独占される。おかげで後宮、ハアレムにいる三千人の美女は、すべておいてきぼりとなり、三千人の美女に分配さるべき天子の寵愛が、ただ楊貴妃一人の身に集中されることになった。楊貴妃を得てのちの玄宗が、もはや他の女性を近づけなかったということ、これは史実のようである。歴史の書物のあるものには、それは楊貴妃が嫉妬ぶかい女性であったからだという風にしるしている。また陳鴻の長恨歌伝などには、彼女が、すこし悧巧すぎる女性であり、単に殊なる艶やかさと尤(すぐ)れた態(すがた)をもっていたばかりでなく、才智明慧であって、玄宗の意向をうまく先まわりして察するのが、その愛を独占したゆえんであるという風に、しるしている。しかし嫉妬ぶかかったにせよ、悧巧すぎたにせよ、多妻を以てむしろ道徳とする当時の宮廷にあって、皇帝の愛を独占し、一夫一妻の愛情をうちたてた楊貴妃は、愛情の完成の半ばをになった玄宗とともに、偉大であるとせねばならない。もっと大げさにいえば、人間の恋愛の歴史の上に、一つのすぐれた典型を、早い時期に於いて示した男女であると、いえないことはない。この長恨歌の底を流れる白居易の心情も、そうした純一な恋愛に対する讃美であるように、思われる」。この見解などは、まさに、吉川幸次郎の面目躍如といったところです。
しかしながら、この先駆的な世紀の恋は悲劇的な終わりを迎えることになります。有為転変の極致と言えましょう。