榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

立憲主義、集団的自衛権、砂川事件判決が頭にすっきりと入ってくる・・・【情熱的読書人間のないしょ話(214)】

【amazon 『集団的自衛権はなぜ違憲なのか』 カスタマーレビュー 2015年11月2日】 情熱的読書人間のないしょ話(214)

散策中に、濃い桃色の花をたくさん付けたサザンカに出会いました。小さなキノコの塊を見つけました。私好みの小さいさまざまなキクが咲いています。庭いじりをしていたその家の主から、好きなだけお持ちくださいと言われ、女房は大喜びです。因みに、本日の歩数は12,512でした。

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閑話休題、『集団的自衛権はなぜ違憲なのか』(木村草太著、晶文社)は、勉強になりました。

本書で著者が一番訴えたかったのは、こういうことでしょう。「●個別的自衛権の範囲を超えた集団的自衛権の行使は違憲です。●不合理な相手に、『政策的におかしいからやめなさい』といくら言っても聞く耳を持つはずがない。権力者というのは、権力を濫用するものなのだ。憲法論が必要になるときとは、合理的な議論が困難になっているときだ。だからこそ、憲法という形式的な枠組みによって、権力者の行動を制限することに意味がある。●法案成立はもちろん大きな出来事だが、法律は実際に運用されなければただの言葉に過ぎない。憲法違反の法律ができたからといって、政府が直ちに憲法違反の活動をするわけではない。これから大切なのは、国民がしっかりと政府の監視を続けることだ。政府が憲法に反する自衛隊の活動を実現しようとしたときには、『それは憲法違反ですよ』と政府に毅然と突きつけること。それが、立憲主義である」。

立憲主義は、このように説明されています。「個人を尊重し、権力独占・濫用を防止し、国家権力に予測可能性を与えるために、国家権力を統制するための法典が重要になる。その法典には、個人の権利保障や、権力独占を防止するための権力分立規定などの内容が盛り込まれる必要があろう。また、予測可能性の確保という観点から、その法典は、国家権力の行使に先立って、明確に規定され、公示されることが好ましい。権利保障と権力分立を内容とする公示された法典を制定し、国家権力を統制すべきだ、という原理を立憲主義という。そして、立憲主義の原理に基づき制定された国家権力統制のための法典を『憲法』と呼ぶ。日本の場合には、『日本国憲法』がそれに該当する」。

集団的自衛権はなぜ問題ありなのでしょうか。「日本国憲法の下では、自衛隊が外国の政府との関係でなしうる活動は、防衛行政としての個別的自衛権の行使と、外交協力として専門技術者として派遣されるPKO活動などに限定せざるを得ない。個別的自衛権すら違憲と理解する憲法学者はもちろん、個別的自衛権は合憲と理解する憲法学者であっても、集団的自衛権の行使は違憲と解釈している。憲法学者の圧倒的多数は、集団的自衛権が違憲であると解釈していた。さらに、従来の政府も集団的自衛権は違憲だと説明してきたし、多くの国民もそう考えていた。だからこそ、集団的自衛権の行動を容認すべきだとする政治家や有職者は、改憲を訴えてきたのだ」。

「憲法改正が無理だと考えた安倍政権は、政府内部ででき、国民の手の届かない、政府解釈の変更という手法を用いることにしたのである」。

最高裁砂川事件判決については、こう解説されています。「合憲論者は、最高裁砂川事件判決で、集団的自衛権の行使は合憲だと認められたと言う。これは、自民党の高村副総裁が好む論理で、安倍首相も同判決に言及して違憲説に反論した。しかし、この判決は、日本の自衛の措置として米軍駐留を認めることの合憲性を判断したものにすぎない。さらに、この判決は『憲法がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として』と述べるなど、自衛隊を編成して個別的自衛権を行使することの合憲性すら判断を留保しており、どう考えても、集団的自衛権の合憲性を認めたものだとは言い難い」。

「集団的自衛権の行使容認が政策的に必要なら。憲法改正の手続きを踏み、国民の支持を得ればよいだけです。仮に、改憲手続きが成功しないなら、国民が、改憲を提案した政治家、国際政治・外交・安全保障の専門家、改憲派の一般市民の主張を『説得力がない』と判断したというだけでしょう。国家は、国民により負託された権限しか行使できません。軍事力を日本国政府に供与するか否かは、主権者である国民が、憲法を通じて決めることです。憲法改正が実現できないということは、それを国民が望んでいないということでしょう。憲法を無視した政策論は、国民を無視した政策論であることを自覚しなければならないはずです」。

若手憲法学者による上記の主張は、論理的で説得力があります。これに反論するには、感情論ではなく、これを超える論理性が求められるでしょう。