手作りの温もりが感じられる、昭和の作家37人の評伝集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(235)】
岐阜県・白川郷は霧に包まれて幻想的でした。この合掌造り集落で最大級の5階建ての長瀬家の内部では、代々暮らした人々、仕事に携わった人々の息遣いが感じられました。因みに、本日の歩数は15,141でした。
閑話休題、『昭和の作家たち――誰も書かなかった37人の素顔』(大庭登著、第三文明社)は、手作りの温もりが感じられる、昭和の作家37人の評伝集です。
例えば、「現実の大いなる矛盾を超え創作 福永武彦(1918~1979)」は、こんなふうに描かれています。「福永の文学は、幼くして母を亡くし、少年期に理想の女(ひと)と暗闇の存在を知ってしまった福永の芸術観と、泥くさい現実生活との間の矛盾から生まれたものである。『人生は常により重要である』と言った福永だったが、持って生まれた狷介できまじめな性格は、芸術以外は他人の存在を家族といえども認めない、というようなところがあった。それでいながらプロテスタントの両親のしつけもあって、『一人の女を選んだ以上、家庭というものを守り続けなくてはならない』と言い、また、『地球のどこへでも逃げていきたい』といった大揺れに揺れる心境のなかから、珠玉の小説群が創作されたともいえる。『廃市』も『草の花』も『海市』も、『冥府』『夜の三部作』も最後の長編となった『死の島』も、福永の理想と現実の大きなギャップから血みどろの作業で創り得たものである」。丁度、福永の『草の花』を読み始めたところの私にとって、大変勉強になりました。
「阿修羅の如く『わが解体』を叫ぶ 高橋和巳(1931~1971)」には、興味深いことが記されています。「昭和37年9月、文壇でほとんど知られていない大阪・吹田市に住む31歳の青年が『悲の器』という小説で第1回文藝賞に入選した。その青年が、自分こそ小説家になるべき人間であると確信していた高橋和巳であった。・・・自分こそ一流の小説家になる人間だと妄信している誇大妄想狂の青年と、その才能を狂信することのできる夫人(和子)との出会いこそが、若手知識人のアイドル高橋和巳の誕生の発端でもあった。・・・人間の心は折れやすく曲がりやすい。しかし、逆に世界にただ一人の人の支えがあれば、どんな苦労でも耐えることができ、深く埋もれた才能を開花させることもできる。高橋の文学的才能は彼女と出会った時、ぎりぎりの飽和点まで達していた。・・・和子夫人は、さっそく高橋の妄想の交通整理を始めた。生活は大変苦しかったが、二人は生活の基準を『高橋和巳を一流の小説家にする』という目的にしぼった。・・・和子夫人は、シャボン玉のように広がり散ってゆく高橋の妄念に、何としてでもひとくぎりつけさせるために無理に書かせ、それを自分で清書した。清書しながら激励したり褒めたりする夫人に、高橋は喜び、その妄想はまた新たなる馬力をつけた」。これぞ、幸せな夫婦像の極致ですね。