江戸時代、多くの女性俳人たちが句集を出版していた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(254)】
昨晩、我が家に闖入者がありました。浴室の方から女房の悲鳴が聞こえてきたので駆けつけると、怪しげなものが動き回っているではありませんか。よく見ると、歩肢が゙15対と多い節足動物のゲジで、胴体は3cmですが、触角が4cmと長く、最終歩肢も4cmあります。一見、恐ろしげですが、ムカデと異なり無害です。ゲジの訪問は初めてのことです。網戸があるのに、どうやって侵入したのでしょうか。写真に収めた後、もう女房の前には姿を現すなよと言い聞かせて、庭の隅に放してやりました。
閑話休題、『江戸おんな歳時記』(別所真紀子著、幻戯書房)は、江戸時代の有名、無名の女性俳人たちの句を精力的に幅広く収録しています。「17世紀末から19世紀前半にかけて諸国における女性俳諧師は驚くほど多数いて、撰集も100冊近くあるのだ。宮廷や大名などの支配階級ではなく一般庶民の女たちが、その時代に多数創作に打ちこみ出版物を発行する文化は、世界のどの国にも類をみないものであろう」。「300年前、200年前の市井の女たちが、創るよろこび、それが版木に刻まれて世に出るよろこびを初々しく享受したことを、多くの人々に知って貰いたいと本書を思い立ったのであった」。
春の句から。●吹いるる梅を栞や宇治拾遺 星布尼――梅の花びらを栞にするのが『宇治拾遺物語』というのにぴたりと決まっている星布尼。●見る程の菫つみたくなりにけり 波間藻――波間藻は一茶と親しく、一茶の西国行脚に触発されて父と旅に出かけたのではないかと思われる。●紅粉猪口にうつりにけりな玉椿 遊女・つかさ――口紅が猪口(ちょこ)に移ったことを詠んだのであろう。●かくし田のこころも知らで鳴蛙 一紅――年貢のための検地を避けて山陰に隠し田があるのに、そんなに蛙が啼いてはばれてしまうと、山村の在りようや諧謔を含んだもの。●雛の顔我是非なくも老にけり 星布尼――大切に扱われて幾年も変わらない雛に、自分の老境をしみじみと思う句。「われ是非なくも」に人生の深みを感じる。
夏の句から。●子規(ほととぎす)こころに雨のふる夜かな 江戸・田女――ポール・ヴェルレーヌの「巷に雨の降る如く われの心に涙ふる」に100年先立つ句。しかしこの才ある江戸期の女性はその名を知られること実に少なかった。●聟どのへ人走らせぬ初かつを 古友尼――高価な初鰹を買ったからと大急ぎで聟を呼ぶ。大きな魚なので隣近所へも配ったりする。●見たい顔橋も落ちたり五月雨 豊後・りん――江戸期にも橋が流される水害があったのだ。しかしこれは小さな橋であろう。小川の向うに会いたい人がいるのである。●簾さげて誰がつまならん涼舟 秋色――隅田川の涼舟を見ての詠であろうが、「誰が妻ならん」は一夜妻、つまり遊女であろう。れっきとした夫婦なら納涼舟は簾を上げているはず。川竹の身と呼ばれる遊女と川の流れを暗示した句。●うたたねの裾へ裾へと蚊遣かな 越前・哥川――哥川は越前三國の遊女。俳名高く、加賀の千代尼(千代女)の許を訪れて三泊したことも記録に残っている。句は、転寝している人の足あたりに蚊遣の煙を寄せてやる。素足の向う脛まであらわにして寝ころがっているのはやはり男、客であろうか。●夕顔や女子の肌の見ゆる時 千代尼――宵闇に白く浮き出る花と、往来の人目もなくなって湯上りの肌に風を入れている女、千代尼の目が描く艶な情景。さすがと思わせる感覚である。
秋の句から。●子の留守に紐解いてやるとんぼ哉 紀州・比葉女――共感の湧くほほえましい句。●鶏頭やつよきおのこの見返りし 加州・左柳女――鶏頭の強さを詠んでいる。剛き男と鶏頭の強さ比べ。●姥捨ぬ里たのもしや月見草 諸九尼――道に迷ったところを若い夫婦に助けられた際を詠んでいるのである。●こころよき風呂の加減や雁の声 古友尼――生活感と古典的季語の取合せが面白い。いい湯加減の風呂につかって聞く雁の声を詠んだのは珍しいもの。●耳に立やひとり寝る夜の鹿の声 尾崎・志燕尼――山本東瓦は妻を亡くしたあと志燕尼と師弟を越えた関係であった。志燕の句には、江戸期には珍しい恋句が多い。●我宿は殿御かまはず菊の花 紫白――いいえ接待もせず庭仕事をするような者です、と返し、坂本朱拙に撰集出板の援助を頼んだらしい。17世紀末に庶民の女性が撰集を出すのは日本はもとより中国、西欧にもないことで、すばらしい女の初鍬を入れたことになる。●酒蔵も序に覗く菊見哉 諸九尼――酒蔵を覗くからにはいける口だったのか。●武士(もののふ)の紅葉にこりず女とは 秋色――冠里公の屋敷で酒宴となり家来たちがからかったのに対して詠んだと記録にある。「紅葉にこりず」は謡曲「紅葉狩」の鬼女を踏んでいて、また酔って赤い顔の侍を諷してもいるのであろう。老中もつとめた大名の屋敷でこう言い返す心意気は江戸の下町育ちならではである。
冬の句から。●ひとりゐや別な時雨の降るやうに 信州・承阿尼――一人住いの小庵に降る時雨は、市中の世俗の賑やかなあたりに降るのとは別の趣きがある。「別な時雨の降るやうに」は近代詩のイメージを含んでいるように思われる。●山茶花や片手ぬくめる朝仕事 肥前・紫青――朝仕事の水は冷たい。井戸の傍に山茶花が咲いているのであろう。片手を代りばんこに懐に入れて温めながらの水使いが目に見えるような紫青の句。●寒き夜やもどらぬ人を待兼る 京・壺中妻――壺中の妻は夫の帰りを待ちながら夜の寒さを思いやっている。●旅寝して二人たのしや寒けれど 志燕尼――芭蕉の「寒けれど二人旅寝ぞたのもしき」を踏んでいる。●初雪や誰が誠もひとつ夜着 吉原・薄雲――薄雲大夫は吉原信濃屋の抱え大夫で高名であった。身を売る女の諦念を初雪という清浄無垢なものに対して哀しく詠んでいる。
男性上位の江戸時代にあって、これほど多くの庶民の女性が、これほど個性豊かな俳句を作り、発表していたとは、驚きであると同時に、嬉しい気持ちがします。