『となりのトトロ』の「傘」と、『魔女の宅急便』の「ホウキ」が意味するもの・・・【情熱的読書人間のないしょ話(261)】
私がパソコンで原稿を書く時、いつも、脇で見守ってくれているのは、『となりのトトロ』のメイの愛くるしい指人形です。
私は、宮崎駿のアニメーションの中では、『となりのトトロ』と『魔女の宅急便』が最も好きなのですが、『宮崎駿再考――「未来少年コナン」から「風立ちぬ」へ』(村瀬学著、平凡社新書)では、発表作品ごとに宮崎駿の思考が深化していったと説かれ、『風立ちぬ』がその到達点に位置づけられています。
「私は、この『地球感覚』をさらに『星の感覚』と呼び、2011年3月11日の大震災を体験した私たちにこれから求められるものは、『日常感覚』を通して『地球の動き』を感知する『地球感覚』ではないかと思い直してきたのである。そしてその『地球感覚』はひろく『星の感覚』としても受け止め直さないといけないものであり、それは科学のお勉強をいうのではなく、自分の中の『星の感覚』を育ててゆく試みでもあり、もっと言えば、星を作ってきた『宇宙の鍛冶屋の感覚』を育てることにもつながっていかないといけないのではないかと、考えてきたものである。だから、『半径3m以内に 大切なものは ぜんぶある。』という宮崎駿の言い方は、『半径3m』と共に、『石ころ一つ』に『地球がある』と自分の中で言い直せたらと思っている」。
『となりのトトロ』では「傘」が重要な役割を果たしていると、著者が指摘しています。「物語では、姉サツキの通う田舎の小学校に押しかけたメイと一緒に帰る場面で雨が降ってくる。二人は道ばたのお地蔵さんのところで雨宿りをする。そこにカンタが通りかかり、破れた傘をつきだして無理矢理置いて走ってゆく。夕方、父に傘を届けるついでに、カンタの家に寄って傘を返す。暗くなったバス停で父を待っているとトトロが現れる。サツキは父に持ってきた傘を貸してあげる。その傘を差したトトロは、傘に当たる雨の音に大喜び。お礼にドングリをくれる。そのドングリを庭に蒔いておくと、夜に猛烈な勢いで、巨大な傘のように木々が生い茂る。サツキとメイは、傘を差したトトロと夜空を飛んでゆく」。
傘がキーワードであることは、作品の世界に浸るだけだった私にも理解できますが、驚いたのは、著者の考察が「地球を守る傘」に及んでいることです。「地球は地球を守る『傘』を被っていた。それが地磁気に基づく磁力線によるバリアだったのである」。
著者は『魔女の宅急便』のキキのホウキを、火を噴かずに飛ぶ乗り物と捉えています。「植物や昆虫たちは、『地球感覚』を持って飛ぶことができるのに、人間になるとそれができなくなっていったのではあるが、人間の中にもこの『星の感覚』『地球の感覚』を持つ人たちは、精神の中できっと『飛ぶ』ことができていたのであろう。キキは、そういう古代の人たちの継承してきた力に少し目覚めてきていたのではないかと私は思う。映画の中では、それはキキの課題であったけれど、すでに『飛ぶ』感覚を忘れてしまっている私たちの課題にもなっているものであった。つまり、私たち自身が、自分の中の『地球感覚』を取り戻してゆくという課題である」。
ここでも著者はさらに、キキが飛べなくなってしまった時、飛ぶ力を取り戻すきっかけになる出来事へと考察を進めていきます。
私のように単純に宮崎映画を愉しんできた者にとっては、こういう愉しみ方もあるのだなと、著者の深く広い論考にただただ恐れ入るばかりです。