遅読が主で、速読が従・・・【情熱的読書人間のないしょ話(272)】
ヒヨドリに代わって、この時期の散策中に目に付くのは、ムクドリです。葉が落ちているため、ハシブトガラスの用済みの巣もよく見かけます。2つの図書館に寄りましたが、現在は各人のリクウェスト状況や借り出し状況がパソコンで管理されていますので、昔に比べ操作が簡便になっています。因みに、本日の歩数は14,328でした。
閑話休題、読書家の知人が、若い時分に一番影響を受けた本として推薦している『知的トレーニングの技術(完全独習版)』(花村太郎著、ちくま学芸文庫)を読んでみました。
知的生産・知的創造のために「考える」時間を最大限確保することを目的とする立志術、青春病克服術、ヤル気術、気分管理術、発問・発想トレーニング術、「基礎知力」測定法、知的交流術、知の空間術、蒐集術、探索術、知的パッケージ術、分析術、読書術、執筆術、思考の空間術、知的生産のための思考術、科学批判の思考術、思想術が、先人の智慧と著者自身の思考を巧みに融合させた形で提示されています。私も若い時にこの書に出会っていたら、大いに刺激を受けたことでしょう。
本筋から少し離れるかもしれませんが、「遅読が主で速読が従」と「斎藤茂吉の眼力」に触れた箇所が強く印象に残りました。
「読書に例をとると、読書術のトレーニングを速読法の練習から始めるのは愚かなことである。速読法の目的は、不要な本を早めにとりのけて、ゆっくり読むべき本を発見することにあるのであって、読書術の根本は『遅読』にあるのである。遅読する力をもたない者が速読トレーニングをやっても、けっして書かれた内容は頭脳に定着しない。じっくり本が読めるようになれば、何が不要で、何に時間をかけねばならないか、おのずと分別がつくようになる。遅読が主で速読が従、というこの原則を会得することは、読書術のノウハウの半分をマスターしたと同じ価値をもつ」。
「彼(歌人・斎藤茂吉)は明治39年の『明星』にのった与謝野晶子の短歌を睨んで、彼女の作歌の秘密を見破ってしまった。晶子の歌は、次のような順序で全部で15首並んで発表された。ここでははじめの方から7首だけ載せてみる。じっと見つめて、この歌人の方法を看破してみよう。<7首略> ぼくらは、この7首の行列から何が発見できるだろうか。正直いってぼくにはなにもみえなかっただろう。茂吉の指摘にただただ驚きあきれるばかりだった。茂吉の『矩の如き眼力』は、この行列の次の単語に早速、サイドラインを引いたのだ。1首目から順にいくと、速香・・・巣がき・・・巣がくれ・・・素子・・・砂場・・・裾がき・・・、と茂吉のマークした単語をつなげてみると、これはどうしたことだろう。まさに晶子の作歌の秘密が視えてくる。この、現代ではあまり見馴れない、辞典でも引かなければ意味もとれないような、そしてすべて『す』の音ではじまる単語たち――そうだ、『此等は、国語字典の<す>の部の語を拾って、その連想により1首1首をまとめて行って居ることが明瞭である』! 天才歌人・晶子ともあろうものが、と目を疑ぐる前に、ぼくらは茂吉の眼力の強度に圧倒されてしまう。写生を尊ぶアララギ派の茂吉が、『1つの語を字書から拾い出して、その語から、からくり式に1首1首を拵えあげる』、明星派の晶子のこの連想の作品に虚偽と頽廃を嗅ぎつけていただろうことは察するにかたくない。浪漫派といって批評家が讃美しようが、それはしょせんからくり式の『拵えもの』にすぎないことを、茂吉は見ぬいていたのだから」。晶子の熱烈なファンである私は、著者のこの判定に納得したわけではありませんが、茂吉の眼力には兜を脱ぎます。
間違いなく、若い人の役に立つユニークな一冊です。