鉄道をこよなく愛する著者の全国廃線訪問記・・・【情熱的読書人間のないしょ話(280)】
冬の太陽が野外の円形舞台をくっきりと浮かび上がらせています。ボタンの若木たちは藁で作った雪囲いで守られています。ハボタンたちに全員集合の号令がかかったのでしょうか。この季節のサクラ並木には春とは異なる風情があります。因みに、本日の歩数は10,350でした。
閑話休題、鉄道の廃線には、なぜか心惹かれます。芭蕉の「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」に通じるものがあるからでしょうか。
鉄道をこよなく愛する梯久美子が5年をかけて全国の廃線跡を訪ね歩いた『廃線紀行――もうひとつの鉄道旅』(梯久美子著、中公新書)は、廃線好きには堪らない一冊です。「地面の上を水平方向に移動するのは地理的な旅であるが、廃線歩きにはこれに、過去に向かって垂直方向にさかのぼる歴史の旅が加わる。廃線の旅の必携アイテムは地図と年表で、この両方をポケットに入れて歩いていると、廃線とは、地理と歴史が交わる場所であることに気づく」。
いずれの廃線も味わい深いのですが、5つがとりわけ心に残りました。
1991年に廃止された栃木県の日鉄鉱業羽鶴専用鉄道は、このように紹介されています。「『絶景廃線』と呼びたくなる路線は全国にいくつもある。たとえば瀬戸大橋の見える下津井電鉄、景勝地・耶馬渓のど真ん中を走る大分交通耶馬渓線などがそうだ。一方で、ありふれた景色の中を通ってはいるが、歩いてみると何ともいえず楽しい廃線もある。今回訪ねた日鉄鉱業羽鶴専用鉄道はその代表だろう」。私は、ありふれた景色の中の廃線により強く惹き付けられます。「終点の羽鶴駅に向かって夏草の生い茂る廃線跡を上っていく」というキャプションが付けられた著者撮影の写真も魅力的です。
2001年に廃止された岐阜県の名鉄谷汲線の写真は、「現役時代のまま時間が止まったような谷汲駅。昭和3年(1928年)に製造されたモ755車両が当時の停車位置にあり、いまにも動き出しそうだ」と説明されています。
2004年に廃止された愛知県の名鉄三河線(猿投~西中金)の写真のキャプションは、このように記されています。「きれいに雑草が刈られ、いまにも列車が入ってきそうな三河広瀬駅のホーム」。
1911年に廃止された愛媛県の住友別子鉱山鉄道(上部鉄道)の写真のキャプションは、「唐谷川の三連橋梁の遺構。どっしりした橋脚は見上げる髙さ。きっちりと積み上げられたレンガはほとんど風化しておらず、痛みも少ない」となっています。明治44年に廃線となったというのにですよ。
2008年に廃止された宮崎県の高千穂鉄道。「延岡と高千穂を結んでいた高千穂鉄道は全長50キロ。(五ヶ瀬)川の気配を身近に感じながら、山と谷の間をすり抜けるようにして走る」。40年ほど昔のことですが、三共(現・第一三共)の宮崎県担当MRとして、高千穂町立病院や日之影町立病院などを定期的に訪問する時、高千穂鉄道と並行して車を走らせたことを懐かしく思い出してしまいました。