主体性を持たせるには、なでしこジャパンに学べ・・・【続・リーダーのための読書論(61)】
医学教育と主体性
『主体性は教えられるか』(岩田健太郎著、筑摩選書)は、大学病院に勤務するドクターが医学生や研修医の医学教育で「主体性」を教えるにはどうしたらよいかを考察した本である。MRにとって、このようにドクターの内部世界を垣間見ることができる著作は貴重である。
思考停止
●(患者)AとBの違い。両者を区別することは、過去の事例にすがるのではなく、目の前の患者を診、そして判断を下すよりほかにない。AのときにはなかったBの特徴を見出すよりほかない。患者の問題がどこにあるのか、自らの力で「主体的に」考えなくてはならないのだ。これを行わず、過去の事例をそのままコピー・アンド・ペーストするのは一種の思考停止である。つまり、主体的であるということは思考停止に陥らないことを意味している。●患者に何が起きているのかを突き止めるのが診断である。診断があって、初めて治療がある。●事例に応じて立場をコロコロ変えていく節操のなさが、医療においては大切な態度となる。逆に一貫した、「常に」同じという硬直的な態度は、複雑であいまいな医療の世界にはうまくフィットしない。医学の世界ではある世界観に固定されないほうがよいのだ。世界観の固定は思考停止と同義である。どの世界観が今このときの目の前にいる患者に一番フィットするのか、常に考え続けなければならない。●医療者が質の高い診療を提供しようと思えば、必ず主体性を持つことが要請される。研修医がそれを持っていない場合、指導医はそこをほったらかしにはできない。主体性を持って診療するよう要求せざるを得ない。●研修医は、一人前の医者になるために研修医という立場にある。一人前の医者とは、指導者のスーパービジョンがなくても独立して診療できる医師であることを意味している。それが目的だ。つまり、指示する上級医がいなくても独立したパフォーマンスができなければいけないのだ。研修生活をつつがなく過ごすことや、上級医と仲良くすることは研修の目的ではない。●研修医は、研修を修了した後という時代を生きるために研修している。研修医時代は手段であり、目的ではない。主体性を欠いたまま研修医でいることは可能である。しかし、主体性を持たずに一人前の医者になることは不可能である。一人前の医者になるための阻害要因を、指導者が看過するわけにはいかない――と、手厳しい。
近年のエビデンス、マニュアル、ガイドライン遵守主義に対しても辛辣である。「アメリカ医療、EBM、ガイドライン、マニュアルはツールである。それは人間(医者)が使いこなすべき道具である。道具に使われてはいけない。マニュアルやガイドラインに『使われている』医療者が多い。『マニュアルにそう書いてあるから』が行動規範になっている。思考停止である」。
なでしこジャパン
主体性を持たせるにはどうしたらよいか追求を続ける著者は、なでしこジャパンに辿り着く。「佐々木(則夫)監督は選手たちに自分の頭で考えるよう常に要求し『答えを与えなかった』。・・・佐々木監督には理念とするサッカー像はある。しかし、それを選手に教え、選手が実践してもそれは真の実践とは言えない。そんなことをさせても思考停止の選手ができるだけである。理念を自らが見つけ出すよう、佐々木監督は『答えを教えない』。答えを選手自らが見つけ出すよう、促しながら待つのである」。