70代、80代を豊かに生きるためのヒント集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(352)】
スミレ観察会に参加しました。橙色の地に黒い斑点が美しいベニシジミをカメラに収めることができました。植物の精かと思われるほど造詣の深いメンバーから、一口にスミレと言っても、多くの種があることや、それぞれの見分け方を教わりました。そのうちの9種――在来種のノジスミレ、コスミレ、アリアケスミレ、マルバスミレ、ツボスミレ、ヒメスミレ、タチツボスミレ、ニオイタチツボスミレ、外来種のアメリカスミレサイシン――を観察できるという幸運に恵まれました。濃紫色の仏炎苞に包まれたウラシマソウの花も見つかりました。因みに、本日の歩数は14,978でした。
閑話休題、『歳をとるのは面白い――70代、80代も豊かに生きられる人、つまらなくなる人。』(『PHP』編集部編、PHP研究所)には、16人の「自分を受け入れ、今日を楽しむ」、「物事は良い方向に考える」、「人生は歳を重ねるほど豊かになる」というテーマに沿ったエッセイが収められています。
とりわけ心に響いたのは、1933年生まれの篠沢秀夫の「今ある自分の姿を受け入れる」です。篠沢はALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病に冒され自宅療養中ですが、その精神は驚くほど強靭です。「昼でも夜でも、ふと気が付くと、今ある姿は、人工呼吸器付きだ。『どうしてこうなったの』と思いたくなる。堪える。その思いに浸ったら、身も心もズタズタになってしまう。・・・今ある自分の姿を受け入れ、今日を楽しむ。今や、寝室のベッド正面の西向き窓から、庭の木々を眺めて、楽しむ。痰取りの後、さっぱりすると、嬉しい。おお、人工呼吸器を付けているのは、時代劇のお侍のように甲冑をつけているのではないか」。
1923年生まれの外山滋比古の「知らぬが仏、忘れるが勝」には、共感を覚えます。「朝、目をさます。頭はぼんやりとしているけれども心はどこか明るい。グッド・モーニングである。そこはかとないことが頭に浮んでは消える。ずっと前に考えたことの名残がひょっこり顔を出したりする。ひとつこれをまとめてみようか。おもしろい。モノになるかもしれないと思ったりしているうちに、はっきりものが考えられるようになる。そこで、その日にすることを思いつくままに並べてみる。その日のスケジュールである。よし、やるぞという気持ちになって起き上がる。毎日、これを繰り返す。そこで考えたことを朝の思想と勝手に呼んでいる。あくまで前向き、過ぎ去ったことの出る幕はない」。
1923年生まれの加島祥造の「ひとりは淋しくない」の孤独を恐れるなというアドヴァイスは参考になります。「大自然の中に身を置いてみることだ。風や空気を全身で感じて、木々や草花の営みに目を向けることだ。そこにある確かな生命力を感じることで、きっと自分自身の存在が浮かび上がってくるに違いない。そして何よりも大切なことが、自分とは何かを考えること。いま自分にとって大切なものとは何か。自分にとって不要なものとは何か。それが見えたとき、はじめて独立した人間になれるのではないだろうか。諦めることをせず、いまの自分を受け入れてみることだ。そしてもうこれ以上、不要なものを求め続けるのはやめることだ」。
1933年生まれの草笛光子の「今日一日をよく生きる」を読んで、彼女が年齢を超えて輝いている理由が分かりました。「今でも私を救ってくれているのが、その想像力です。今では父も母も亡くなり、私ひとり。それでも孤独や寂しさを感じることはありません。それは、亡き人々とも心でなら会話することができるからです。朝晩お仏壇に手を合わせるのが私の日課。『きょうの舞台、うまくいくかしら』『こんなことがあったのよ。困っちゃったわ』。そんなふうに語りかけると、父ならこう答えるだろう、母ならこう励ましてくれるだろう、などと答えが想像できる。こんな時間があるから『よし、頑張ろう』と毎日元気でいられるのだと思っています」。