君にぜひとも読んでもらいたい世界文学はこれだ・・・【MRのための読書論(125)】
MRと読書
MRたる者、仕事の根幹となる専門ならびに周辺の知識・情報を入手、更新するための読書を欠かすことはできない。また、ビジネス書を読んでの自己啓発も必要である。しかし、これだけで事足れりとしてよいのだろうか。自分の周囲を見回してみると、職種のいかんを問わず、仕事ができる上に人間としての幅を感じさせる人は、かなりの読書家であることに気づくはずだ。この場合の読書は、文学が中心になっていると言っても過言ではないだろう。人間力を高めるという効果はあくまでも副次的なもので、文学に親しむことにより、もう一つの人生を経験するという大いなる愉しみを味わうことができるのだ。文学に触れずして人生を終わってしまうとは、何とももったいないことである。
文学の最高峰
私は子供の頃から現在に至るまで、国内外の多くの文学を渉猟してきたが、その経験を踏まえて言えることは、一番面白いのは、やはりバルザックだということである。それも、彼の代表作とされている『谷間の百合』や『ウジェニー・グランデ(純愛)』ではなく、『ペール・ゴリオ(ゴリオ爺さん)』、『幻滅』、『娼婦盛衰記』の三部作と断言できる。いろいろな日本文学、世界文学を彷徨った末に、これはという文学作品に辿り着くという方法ももちろんあるが、忙しい君には、最初から最高峰に登ってもらいたい。
悪の権化・ヴォートラン
対談集『バルザックがおもしろい』(鹿島茂・山田登世子著、藤原書店)では、バルザックの面白さが縦横に語られている。「この(バルザック『人間喜劇』)『セレクション』の中心になっているのは、『ペール・ゴリオ』、『幻滅』、『娼婦盛衰記』の三部作で、ヴォートランという悪の権化みたいな登場人物が出てきます。・・・ぼくの個人的な希望でいうと、ヴォートランのファンをこの世にいっぱいつくり出したい。それがこのバルザックの『セレクション』の、言ってみれば最大の思想です」。「明暗があるわけですね。成功する人間がいるから、必ずそこには振り落とされる人間もいる。だから『ペール・ゴリオ』はラスティニャックの成功譚でもあるけれども、捨てられる父ゴリオの哀切さも極まっている。その明暗があるからまた読ませるんですね」。「ヴォートランの挑戦というのは、『ペール・ゴリオ』でいったん中座して、もうこれが終わってしまったのかと思ったら、『幻滅』で、最後についに出たという感じで、蘇って帰ってくる。このヴォートランが続篇という形で『娼婦盛衰記』で大活躍する」。
「女に気を許すともう女に全部やられてしまう。それぐらい女が男にとって致命的だということを知っているからこそヴォートランは女を愛さない。たしかにインパクトのあるホモ・セクシュアルではあるのだけれど、それがたいへんおもしろいのは、単に特殊な性風俗ということではなく、普遍的に女と男の力のかけひきもよくわかるんです、あのホモの悪党を通して。そういう描き方がすごいですね」、「性の問題ですね。それの持つ強烈な呪縛力というのかな、それが描かれているのが、この『人間喜劇』の非常に大きな特徴ですね」。
バルザックの弟子たち
対談集『バルザックを読む(Ⅰ 対談篇)』(鹿島茂・山田登世子編、藤原書店)では、髙村薫、池内紀ら10人の個性的な論客と鹿島、山田がバルザックの魅力について自由気儘に語り合っている。
●20世紀でバルザックを一番高く評価した作家はプルースト。●バルザックに学んだドストエフスキーとマルクス。●日本でバルザックをまともに読んだ人は三島由紀夫ぐらいじゃないか。●バルザックは性悪説に立つ人間で、その性悪説の化身がヴォートラン。これはある意味、マキャヴェリの『君主論』に凄く近い。人間の悪徳というのもしっかりと見詰めているので、凄く爽快なのだ。●ヴォートランにバルザック自身が相当肩入れしていて、自分はヴォートランだという意識が半分ある。●貧乏な青年が運と才覚次第で出世するための完全な出世マニュアルとして読むことができる。●大物になりたかったら、ぜひバルザックを――などなど、興味深い発言のオン・パレードだ。
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