400年間に1240万人のアフリカ人を運んだ奴隷船の悲惨・凄絶な歴史・・・【情熱的読書人間のないしょ話(489)】
幼かった時、私が最初に接した「偉人」はエイブラハム・リンカーンでした。講談社の絵本『リンカーン』(梁川剛一画、池田宣政文、講談社の絵本。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)に描かれていた、丸太小屋で生まれ、苦学力行の末、大統領になり、奴隷を解放したリンカーンに心酔してしまったのです。
『奴隷船の歴史』(マーカス・レディカー著、上野直子訳、みすず書房)には、アフリカ各地で積み込まれたアフリカ人たちの悲惨・凄絶な実態が描かれています。奴隷貿易商たちが、奴隷として売り捌くべく彼らを南北アメリカまで運んだのが、本書に登場する奴隷船です。
本書は類書とは3つの点で異なっています。第1は、奴隷を運ぶ船に焦点を絞ることで、奴隷制の残酷さを浮き彫りにしていること。奴隷貿易400年の間に運ばれた1240万の人々の奪われた人生の存在が歴史の闇から立ち上ってきます。第2は、奴隷と船長・乗組員を対立する一塊として捉えるのではなく、双方の個別の事例を集積するという方法で全体像を構築していること。この姿勢が、下級乗組員である水夫は「白い奴隷」だという考察を引き出しています。第3は、詰め込まれた奴隷たちが民族、文化、言語の違いを越えて連帯し、成功することはほとんどなかったにしても果敢に抵抗を試みたこと。
「奴隷船は大西洋奴隷貿易の要であった。奴隷船が奴隷貿易を可能とし、その結果、新世界での奴隷労働が可能となり、アフリカから拉致されてきた人々とその子孫の血で生産された砂糖をはじめとする世界商品が、富を生んだ。これは、世界資本主義の誕生に欠かせないプロセスであった」。
「奴隷貿易という大西洋をまたぐ鎖を始動させるのは、貿易商および貿易に投資する人々の欲と資本である。拉致されたアフリカ人、航海の途中に命を落とした水夫たちの悲惨から生まれる、莫大な利益を刈り取ったのも同じ人々だ。自らは奴隷船の野蛮を目にすることはない。様々な拷問、奴隷たちが詰め込まれたあまりに狭い船倉の耐えられぬ臭気、肌に食い込む鎖、剥けた皮膚の痛み、そして魂が抜けるほどの恐怖、それらを想像しえてもなお、この商売は可能だったのだろうか。利潤を求める人々にとっては、奴隷は水夫の奪われた人生は、損得のうえでの数字にすぎない。アフリカの様々な場所で拉致され、奴隷船に積まれた人々を、船長と乗組員は番号で呼んだ。奴隷船という労働力製造『工場』で、人を奴隷というモノへと加工する第一歩である」。
「全員が甲板の下に閉じ込められ、その居住区の『詰め込み具合といったら、寝返りさえうてないほどだった』。すし詰めにされた奴隷たちには、棺のなかの死体同然のスペースしかなかった。手首、足首、そして首の皮膚が、『腹立たしい鎖』とこすれて、擦りむけた。ものすごい暑さ、劣悪な換気、『おびただしい汗』、そして船酔いに苦しんだ。室内の臭いは、最初から『忌まわし』かったが、汗、嘔吐物、血、そして排泄物で一杯の『用便桶』のために『ほとんど息もできないほど』で、『まさに殺人的』なものとなった。恐怖に駆られた者の叫びが、死にゆく者のうめきと混じり、不協和音を醸すのだった。悪天候のために、何日も続けて下甲板に閉じ込められることもあり、そういう折、船友たちが息絶えていくのを、(11歳の少年奴隷、オラウダ・)エクィアーノはたびたび目にしている」。
「エクィアーノは仲間の奴隷たち――『あらゆる種類の人々がともに鎖につながれている、黒人たちの群れ』――が、階級も、民族も、そして性別もばらばらの寄せ集めで、それが一纏めに奴隷船に積まれているのに気づいていた。生き延びるために、その中で意思の疎通を図り、自分をわかってもらおうと、人々が懸命に努める様を見てとった」。
「船に上げられた女性や少女たちは、裸で震え、恐怖におののいていた。おそらく、寒さ、疲労、そして空腹で消耗しきっていただろうが、そんな彼女たちは往々にして、白い野蛮人らの淫らな乱暴に曝された。哀れな者たちは、耳に聞こえる言葉はわからずとも、それを喋っている男たちの目つきや様子だけで十分に察しはついた。男たちは腹のなかで犠牲者たちを山分けし、機会が来るまでとっておくのであった」。
もし、このような拉致が自分や妻の祖先に起こったことだったら、とても冷静な気持ちではいられないでしょう。遣り切れない読後感が残りますが、読まずに済ますことのできない著作です。