榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

中国に学ぶ人間学、あるいは絢爛たる権謀術数・・・【続・独りよがりの読書論(2)】

【にぎわい 2004年12月10日号】 続・独りよがりの読者論(2)

コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘ(エ)モアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
これは井伏鱒二が于武陵の「酒を勧む」という漢詩を大胆に意訳したものである(『厄除け詩集』<井伏鱒二著、講談社文芸文庫>)。

志と気概の吐露、逆境への嘆き、激しい恋と熱き友情、旅の孤独、老いと悟りの境地、そして別離の思い――漢詩には人生のエッセンスが凝縮している。『漢詩の人間学』(村松 暎著、PHP研究所。出版元品切れだが、図書館、古本屋、WEBの古本サイトなどで探すことができる)が、漢詩は正に人間学のテキストであることを教えてくれる。

*

『史記』には、中国の伝説時代から夏王朝、商(殷)王朝、周王朝、春秋時代、戦国時代、秦帝国を経て漢帝国に至る2千数百年に及ぶ栄枯盛衰の歴史が描かれている。ご存じのように、「完璧」、「逆鱗」、「背水の陣」、「四面楚歌」、「鼎の軽重を問う」、「士は己を知る者のために死す」、「鶏口となるとも牛後となるなかれ」など、多くの言葉が『史記』を出典としている。また、『史記』には、釣り師の呼び名にされている太公望、万里の長城を築いた始皇帝、天下を争った項羽と劉邦、股くぐりの韓信、兵法で知られる孫子、思想家の老子、孔子、薄命の美女で草花の名になっている虞美人等々、極めて個性的な人物が数多く登場する。人間の葛藤、正義、エゴ、欲望、野心、嫉妬、競争心、名誉欲など、さまざまな人間心理と、それに根ざした行動が、時代を超えて迫ってくる。『史記』を人間研究のケース・スタディとして、出処進退の決断、不遇時の身の処し方、出世無用の生き方、保身のテクニック、リーダーの心得などを学ぼうとするとき、『史記の人間学』(村山 孚著、講談社+α文庫。出版元品切れ)が役に立つ。

130巻、526500字に及ぶ膨大な『史記』を著したのは司馬遷であるが、この著作を無味乾燥な歴史書ではなく、生き生きとした迫力ある人間ドラマに仕立て上げたのは、司馬遷の屈折した人生観と激しい怨念であった。漢の武将、李陵が匈奴の大軍と戦って捕虜となったとき、司馬遷が独り李陵を弁護したことが武帝の怒りを買い、宮刑(去勢)に処せられてしまうのである。この屈辱をバネに、その憤りを著述にぶつけ、遂に完成させたのが『史記』であった。この経緯は、中島 敦の小説『李陵』(中島 敦著、新潮文庫。ほかに『山月記』等3編が収められている)に独特の文体で格調高く描かれている。また、「司馬遷は生き恥さらした男である」という書き出しで始まる『司馬遷――史記の世界』(武田泰淳著、講談社文庫)は、司馬遷という人物を理解し、『史記』の全体像を知るのに恰好の書である。

*

約400年に亘り中国を支配した漢帝国が音を立てて崩壊する、正にその時が三国時代(魏、呉、蜀の鼎立)の始まりであった。約100年間の三国時代の歴史書が陳寿の『三国志』である。余談だが、『三国志』の「魏書東夷伝」(便宜上、「魏志倭人伝」と呼ばれている)には、魏の第3代皇帝、曹芳(曹操の孫の養子)に邪馬台国の卑弥呼が朝貢したことが記されている。

閑話休題。陳寿の『三国志』に脚色を加えて小説化したものが羅貫中の『三国志演義』である。「演義」とは歴史物語という意味である。日本人に人気のある吉川英治の小説『三国志』(吉川英治著、講談社・吉川英治歴史時代文庫、全8巻)は、『三国志演義』を下敷きにしている。もっと手軽に『三国志』の全体像を知りたい、その魅力と面白さを味わいたいという向きには、吉川『三国志』をコミック化した横山光輝の『三国志』(横山光輝画、潮漫画文庫、全30巻)を薦めたい。

蜀、魏、呉が覇権を競い合い、劉備、曹操、孫権、関羽、張飛、孔明、仲達等々の多彩な人物たちが権謀術数を尽くして渡り合うところに『三国志』の醍醐味がある。見事なまでに人間が描き分けられている人間学の宝庫、『三国志』から激動の時代の生き方を学ぼうとするとき、『三国志に学ぶ 変革期の勝ち残り方』(中川昌彦著、講談社文庫。出版元品切れ)が参考になる。

あなたは、『三国志』に登場する人物の中で誰がお好みですか? 『三国志』ファンには叱られるかもしれないが、私が最も興味をそそられるのは、権謀術数の達人ともいうべき曹操と仲達である。『三国志演義』は徹底して彼らを劉備、孔明の敵役、悪役に仕立て上げているが、客観的な史実に照らせば、曹操は新時代を切り開いた、この時代随一の人物であった。また、曹操は自ら筆を執って『孫子』に注釈を付け、これを大量に筆写させて部下の幹部教育の教科書(『魏武帝註孫子』)とした。『曹操注解 孫子の兵法』(中島悟史著、朝日文庫)は、孫子の本文と曹操の注釈、それに著者の解説が有機的に響き合う好著である。さらに、曹操は第一級の詩人という一面も併せ持っていた。例えば、「老驥(ろうき)櫪(うまや)に伏すとも、志は千里に在り」(老いたる名馬は、馬屋に繋がれていても千里を駆けようとする気概を持っている。志高い者は、晩年になっても意気盛んなものだ)という詩には、曹操の心意気が込められている。

一方、仲達は「死せる諸葛(孔明)、生ける仲達を走らす」とからかわれたように、宿命のライバル、孔明の巧妙な戦略に翻弄される凡庸な人物として描かれているが、その実像は最終的に勝利を掴み取り、晋王朝の礎を築き上げた真の戦略家であった。権謀術数の何たるかを学ぼうとするとき、『司馬仲達 「三国志」の覇者』(松本一男著、PHP文庫。出版元品切れ)は欠かせない一書である。

*

ドキュメントの『毛沢東秘録』(産経新聞「毛沢東秘録」取材班著、扶桑社文庫、全3巻)は、現代の『三国志』ともいうべき権謀術数の究極のテキストである。毛沢東は社会主義を旗印にした「中国の赤い星」(エドガー・スノウ)というよりも、正に「赤い皇帝」であり、毛沢東を核に周恩来、劉少奇、林彪、小平、江青らが繰り広げる壮絶な権力闘争が、息をつかせぬ圧倒的な迫力で迫ってくる。

一例を挙げれば、毛沢東に次ぐナンバー2の劉少奇とその妻、王光美は毛沢東の差し金で文化大革命急進派や紅衛兵たちから吊るし上げられ、苛酷な迫害を受け続ける。その末に、劉少奇がコンクリート剥き出しの倉庫部屋に監禁されたまま遂に非業の死を遂げる場面は、凄惨を極め衝撃的である。