榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

詠まれた地を通して漢詩を味わい、詠み人の人生を考える・・・【情熱的読書人間のないしょ話(578)】

【amazon 『詩のトポス』 カスタマーレビュー 2016年11月2日】 情熱的読書人間のないしょ話(578)

散策中に、ニホンアカガエルをばっちりカメラに収めることができました。ダイサギがこんなに長く首を伸ばしています。ススキが揺れる中、釣り人がのんびりと糸を垂れています。我が家のハナミズキの紅葉が一段と進みました。因みに、本日の歩数は11,197でした。

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閑話休題、『詩のトポス――人と場所をむすぶ漢詩の力』(齋藤希史著、平凡社)は、洛陽、成都、金陵、洞庭、西湖、廬山、長安などで詠まれた漢詩の魅力を論じているが、一般的な漢詩の鑑賞書とは、趣がかなり異なっています。

金陵の章では、李白の詩が取り上げられています。「その詩は送別の悲しみをうたうだけではない。さかんに故事を引いて范雲と自身の境遇を修辞したのち、こう結ばれる。<心事俱已矣 江上徒離憂。心と事と俱(とも)に已(や)みぬ、江上(こうじょう)徒らに憂いに離(かか)る>。心は、自らあるがままに生きたいという願い、事は、世において果たさねばならない務め。六朝文人の多くは、治政に参与せねばならないという儒家的な義務と、混乱した世で抱え続ける生の不安との葛藤に苦しめられた。もちろん功名の欲望もあり、その空しさもわかっている。『心事俱已矣』とは、そうした葛藤のなかで、願いも務めも遂げられないことを嘆き憂える句だ。詩仙と称される李白が、じつは世事への関与を強く望んでいたことは、新しい李白像を示した金文京『李白――漂泊の詩人 その夢と現実』でも強調されているが、さらに付け加えるなら、それゆえに生じる憂いがあってこそ、李白は詩によって古人と繋がろうとし、仙界ではなく地上において自らの位置を見いだそうとしたのである」。このように、著者の解釈は奥行きがあります。

西湖(せいこ)の章では、白居易に関する解説が目を引きます。「白居易は詩人として西湖の美を発見しただけでなく、知事としてその治水にも力を注いだ。堤防を高くして貯水量を増やし、水門を整備して灌漑に便ならしめた。『銭塘湖(=西湖)石記』には具体的な方法が記され、離任の詩、『別州民(州民に別る)』にも、知事としての第一の功績は湖の治水であったと述べられる。・・・<老人はわが離任の道をさえぎり、別れの宴に酒がふるまわれる。善政をしたわけでもない、涙など流すに及ばない。税は重く貧民は多く、農民は飢えて田も日照りに見舞われる。私にできたのは湖水をせきとめて、おまえたちを凶年から救えるようにしただけだ。・・・彼において、治水と風雅は連続しているし、それこそが文人官僚としての真骨頂であった。わずか2年に満たない期間とは言え、中央での派閥争いなどに巻きこまれるよりよほどすぐれた治績を杭州で挙げたことに、満ち足りた思いのなかったはずがない」。

蘇軾も登場します。「白居易の後を追いかけるかのように、2度目の杭州着任を知事として実現した蘇軾が、白居易と同様に西湖の治水に励み、その風光を詩に詠い、あまつさえ南北に通じる堤をこしらえる姿には、傍から見ても嬉しくなるような無邪気さがある。西湖を領することは、蘇軾にとって大きな夢の実現でもあったのだろう。朝に夕に、晴れに雨に、喜悦はつきない。詩を読めば、私たちもその心をともにできる。詩人であること、治政者であること。白居易や蘇軾にとって、どちらかを欠いた人生はあり得なかった。だが2つながら理想がかなえられる機会は、それほどあるわけではない。彼らによって美と用をそなえた西湖は、その理想をいまに伝えて、人々に愛され続けている」。

数年前に訪れ、親しく接した西湖を懐かしく思い出してしまいました。