「伝承の西行」は、歌合戦で名もない子供や女にやり込められる・・・【情熱的読書人間のないしょ話(648)】
すっかり葉を落としたイチョウは凛と屹立しています。読み聞かせヴォランティアの部会で、昨年末の「クリスマスおはなしかいスペシャル」の反省点と今年のスケジュールが話し合われました。その時、写真を手渡されたのですが、新米の私以外は何年も、長い人は20年も読み聞かせに情熱を注いできたヴェテランばかりです。子供たちのきらきら輝く目が見たい、子供たちに読書の喜びを伝えたいという熱い思いと、その継続力には頭が下がります。因みに、本日の歩数は10,016でした。
閑話休題、『西行はどのように作られたのか――伝承から探る大衆文化』(花部英雄著、笠間書院)は勉強になりました。
私は本来、西行の史実に関心を抱いている者ですが、著者の「史実の西行」と「伝承の西行」は分けて考えるべきで、両者を無理矢理結びつけるべきではないという姿勢に好感を持ちました。著者の、「史実の西行」は西行自身の責任範囲だが、「伝承の西行」は後世の人間が作り上げたもので、西行本人は免責されるという主張に納得したからです。
「本書の中では『遊行聖西行』や『旅僧の西行』『俗聖(ぞくひじり)西行』『職人サイギョウ』などと、さまざまな呼称や風貌を持って登場するが、もちろんそれらを最大公約数的に合成しても、けっして歴史的西行に近づくことはない。確かに民間伝承の西行の淵源は、実在の歌人西行に始まるものであるが、そこから大きく逸脱し、それぞれ独自の存在様式を示している。いったい何が西行を変えてしまったのか、変化の原動力に何が関わったのか、本書のテーマはここにある」。
紹介されているさまざまな伝承の中で、旅の途中の西行がたまたま出会った子供や女との歌合戦の結果、鮮やかな負けを喫し、這(ほ)う這(ほ)うの体(てい)で退散するというものが目立ちます。しかも、尾籠な話、エロティックな話が多いのです。これなどは、天下一とも言うべき大歌人・西行を名もない庶民がやり込めることで、大衆の快感をくすぐったのでしょう。しかし、裏を返せば、それだけ西行が超一級の歌人と認められていた証拠であり、知識人のみならず大衆にも広く愛されていたことを物語っています。
本書のおかげで、これまで知らなかった西行の数多くの伝承に触れることができ、西行がますます好きになりました。