榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

戦争とは、愛とは、夫婦とは何か――物静かに語りかけてくるコミックス・・・【情熱の本箱(168)】

【ほんばこや 2017年2月3日号】 情熱の本箱(168)

読書仲間で、コミックスにも造詣の深い赤羽卓美から、「私の好きな作品です。感想を聞かせてください」とコミックス『この世界の片隅に』(こうの史代著、双葉社、上・中・下巻)を贈られたのは、4年前のことであった。

今回、再読して、本作品の3つの魅力が改めて心に沁みてきた。

第1は、戦争というものがどれほど多くの被害を庶民に与えるかが、物静かに描かれていること。

第2は、戦前、戦中、戦後の庶民生活の実態を克明に知ることのできる貴重な絵解き資料たり得ていること。

第3は、愛とは何か、結婚とは何か、夫婦とは何か、家族とは何か――が、柔らかく、優しく、抑制した筆致で表現されていること。

主人公のすずは、昭和19年2月、見合いした4歳年上の周作のもとに嫁入りするが、夫にどう接したらいいか分からない。5カ月後の7月、家族の留守中に、そっと唇を交わすシーンが微笑ましい。

9月、周作から頼まれた帳面を仕事場に届けると、「急ぎでもないのに、ワザと持って来さしたんじゃ! たまにはすずさんも息抜きせんといけんわい。うちへは姉ちゃんも母ちゃんも居るんじゃし」。「・・・」。「どしたんな? 映画より芝居がええか? 雑炊食堂しかないんは仕方ないけえのう」。

橋の上で。「住む町も仕事も苗字も変わって、まだ困る事だらけじゃが。ほいでも周作さんに親切にして貰うて。お友達も出来て、今、(夢から)覚めたら面白うない。今のうちがほんまのうちなら、ええ思うんです」。「・・・なるほどのう。過ぎた事、選ばんかった道。みな、覚めた夢と変わりやせんな。すずさん、あんたを選んだんは、わしにとって多分最良の現実じゃ」。

20年2月、徴兵されていたすずの兄が、小石になって帰ってくる。

すずと周作の間で、お互いに嫉妬する出来事があったりして・・・。

5月、周作が3カ月の予定の軍事教練を受けるため旅立つ前夜。「・・・すずさん。大丈夫かの、すずさん。こがいに小(こ)もうて。こがいに細うて。わしも父ちゃんも居らんことなって、この家を守りきれるかいの?」。「無理です、絶対無理。・・・ごめんなさい、うそです。周作さん、うちはあんたがすきです。じゃけえ大丈夫、大丈夫です。この家を守って、この家で待っとります」。「すずさん・・・」。「この家に居らんと周作さんが見つけられんかも知れんもん・・・」。

20年6月、空襲ですずは右腕を失ってしまう。

8月、すずの故郷・広島に原爆が投下される。すずの母は行方不明、母を探し回った父も間もなく死んでしまう。

21年1月、周作がすずのもとに戻ってくる。「この街はみんなが誰かを亡くして、みんなが誰かを探しとる」。「みんなが人待ち顔ですね」。「うん。すずさん、わしとすずさんが初めて会うたんはここじゃ。この街もわしらももうあの頃には戻らん。変わり続けて行くんじゃろうが、わしはすずさんはいつでもすぐわかる。ここへほくろがあるけえ、すぐわかるで」。「周作さん、ありがとう。この世界の片隅に、うちを見つけてくれてありがとう、周作さん」。「ほいで、もう離れんで・・・」。「ずっとそばに居って下さい」。

作者のこうの史代は、きっと、すずのような、おっとりした優しい人なんだろうな。