江戸時代初期の日本人の生活実態が垣間見える貴重な史料・・・【情熱的読書人間のないしょ話(664)】
散策中に、ツグミのカップルを見つけました。餌を啄んでいます。別の場所でも、ツグミが熱心に餌漁りをしています。キジバトも餌を突いています。水辺に上がったマガモは、全体像がよく観察できます。因みに、本日の歩数は10,970でした。
閑話休題、『コリャード 懺悔録』(ディエゴ・コリャード著、大塚光信校注、岩波文庫)には、徳川秀忠時代の日本人の生活実態が赤裸々に綴られています。
本書は、既にキリスト教の禁教令が出されていた日本に1619年に潜入し、1622年まで長崎一帯で密かに布教活動を続けたスペイン人神父、ディエゴ・コリャードの手になる日本人信者たちの告解の記録です。
例えば、妻持ちで、夫がいる女と不倫している男は、このように神父に告白しています。「過ちを終わりまでし遂げる機会に恵まれない時は、欲望のおもむくままに、接吻やら抱擁、果ては秘所を弄ぶことなどを何度も行いました。こうしたすべてのことにおいて、女が私の言いなりになっていたものと、神父様、お考えになって下さい。また妻と事を行う時にも、件(くだん)の女のことを思い出し、あたかもその女と交っているかのような気で事を行ったことがしばしばあります。またその女と情交する際、ふつうには自然の器官で事を行いましたが、二度か三度かは背後から行いました。・・・先回の告解から、そんなことがおおよそ七十回か八十回ありました。・・・さらに、姿よく見目うるわしい女性たちを見ると、いつも邪な思いが起こり、大抵の場合、彼女らが欲しい、わが物にしたいという思いに駆られます。そうした邪念を退けることが時にあるにせよ、そのような思いに身を委ねてしまったことは数知れません。女性たちの姿態は、私が見かけた折に私の目に映じた姿によって決まります。・・・気に入った男たちを見かけると、彼らに対して何やら欲望めいた思いを抱いたことが何度もあり、また三回ほどは心底から情欲に溺れたいような気持ちになりました。・・・男色の思いに襲われた時など、好機に恵まれさえすれば、早速その欲望を満たし、また、誰か美しい女性に出会ったりしますと、すぐさま邪念が起こるのは無論のこと、色欲が満たされるまで、それは倦むことを知らぬ執着心に変わるという有様です。結局、ろくに物事を考えることもなく、どうやって悪行をし遂げるか、そのことばかりにかまけていました」。
当時の日本人がこういう人間ばかりだったとは思えませんが、神父に告解すれば罪が赦されると信じていた信者は正直に語ったのでしょう。