本格ミステリの最高峰、エラリー・クイーンの真実・・・【情熱的読書人間のないしょ話(674)】
暖かい陽気に誘われたのか、芳香を放つローズマリーの花密を求めて、セイヨウミツバチたちが飛び回っています。最近は、私が単なる鳥好きで無害な人間だということが分かるのか、ハクセキレイやキジバトはかなり近づいても平気な顔をしています(笑)。因みに、本日の歩数は10,937でした。
閑話休題、若い時分、エラリー・クイーンの作品こそが本格ミステリの最高峰と見做していた私ですが、『エラリー・クイーン 推理の芸術』(フランシス・M・ネヴィンズ著、飯城勇三訳、国書刊行会)から多くのことを教えられました。
「(アメリカの)ブルックリン生まれの従兄弟同士の二人は、『エラリー・クイーン』という名前を、主人公と合作用ペンネームの両方で用いて、最高に複雑で最高に手の込んだ探偵小説を、そのジャンルの黄金時代に生み出し続けた」。二人とは、フレデリック・ダネイとマンフレッド・リーのことです。
リーの没後、ダネイが合作における両者の役割を告白しています。「大まかな原則として、クイーンものの長篇のコンセプト的な作業――テーマ、プロット、基本的な登場人物、推理、手がかりなど――は、おおむねダネイの創作で、詳細な仕上げ、登場人物と出来事の肉付け、言葉の正確な選択の方は、おおむねリーの創作だった」。
しかし、仕事上の二人の関係は、決して円満なものではなかったのです。二人は「39年間、お互いに戦い続けてきました」。「プロットと執筆の両方において、基本的な事柄に関する僕たちの意見の違いがあまりにも強烈だったので、一致させるのは不可能だとわかった」。「僕たちの仕事の進め方では、君が僕より圧倒的に有利な立場にいる」。「僕は何なのだろう。雇い主が設計図を放り投げてくるのを待って道具の前に座っている哀れな下働きなのだろうか?」。「新しい長篇が気に入らないというのが本心なら、勝手にしろ。私はそれで結構だ。実際、どうしても(それが)気に入らないのだったら、その忌々しい梗概をそのまま私に送り返してくれ。それでおしまいだ。無駄になるのは私の時間、私の仕事、私の健康だけだ」。「僕らは独房でわめく二人の偏執狂で、お互いをズタズタに引き裂こうとしている。・・・苦々しさは相手の目に触れないところで、自分たちの痰つぼに吐き出さなければならない。いつか幸いにも、二人ともくたばり苦しみが終わりになるその日まで」。
1960年代には、多くの代作者たちにクイーン作品を書かせていたという事実の提示には、衝撃を受けました。
あれほど世界中で読まれたクイーンの作品が、今や、日本とイタリア以外の国々では忘れ去られてしまっているという指摘にも、驚かされました。