神経質で心配性の加藤清正は、築城・治水の達人だった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(687)】
散策中に、もう顔を出しているツクシを見つけました。1カ月もかけて漸く完成に漕ぎ着けたパッチワーク(73cm×22cm)を前にした女房から、達成感が伝わってきます。不器用な私には分からない世界ですが、厚い本を読了し、書評を書き上げた時の充実感と同じようなものかもしれません。因みに、本日の歩数は10,035でした。
閑話休題、私たち夫婦はNHKテレビの『ブラタモリ』を毎回、楽しみに見ています。書籍でも楽しみたいと、『ブラタモリ(6)――松山 道後温泉 沖縄 熊本』(NHK「ブラタモリ」制作班監修、KADOKAWA)を手にしました。
2016年4月14日と16日に発生した熊本地震によって熊本は甚大な被害を受けましたが、『ブラタモリ』の熊本編は、その直前の3月19日と4月2日に放送されたものです。
熊本城を築城した加藤清正は、2枚の肖像画から判断すると、神経質で心配性という印象を受けます。これを裏付けるように、熊本城は随所で、防御に万全を期す工夫が凝らされているというのです。「とにかく南側に集中させて、厚い防衛線を引いた熊本城。その理由は、タモリさんが察したとおり、肥後国・熊本の南隣、薩摩国を治める島津への警戒から、戦国時代、全国に武名を轟かせた島津は、清正にとって最大の脅威でした」。
清正は、熊本城だけでなく、その城下町でも、さまざまな防衛策を施したというのです。
「清正が(白)川を直線化した第一の目的は、おそらく城と城下町を洪水や浸水から守るための治水。でも実はそれ以外にも、重要な狙いがあったのだとか。・・・白川をまっすぐにする際、2本の川に分けたのです。『切り離して、城の防衛に使ったということですね?』。いわば坪井川を内堀に、白川を外堀に。なるほど、うまい考えです。さらに、この直線化によって、それまで分断されていた町がひとつになり、城下町を拡大することもできました。まさに一石何鳥にもなる、お得な工事だったというわけです。また、流路変更の時期をみると、築城の際には旧流路の蛇行を利用して、城の近くまで大型資材を運搬したとも考えられます。清正は、実に巧みに水を操っていたといえるでしょう」。
清正が武功一辺倒の武将ではなく、築城、防衛、治水、利水にも秀でた第一級の人物であったことが、よく分かります。
馴染みのある地名がたくさん出てきて、三共(現・第一三共)での最初の赴任地・熊本で過ごした5年半を懐かしく思い出してしまいました。