衰退した小樽が再生を果たした歴史に学ぼう・・・【情熱的読書人間のないしょ話(711)】
散策中、アトリの雄と雌をカメラに収めることができました。キジバト、オオバン、マガモ、カワウもいます。果物が好きな私のために、ハッサク、ハルカ、ハルミなどが籠に盛られています。因みに、本日の歩数は10,912でした。
閑話休題、『ブラタモリ(5)――札幌 小樽 日光 熱海 小田原』(NHK「ブラタモリ」制作班監修、KADOKAWA)には、テレビ番組そのものとは異なった趣があります。
「観光地・小樽発展の秘密は『衰退』にあり?」は、衰退から再生へという逆転の歴史の絶妙さがテーマです。
「運河や古い倉庫が並ぶノスタルジックタウン小樽。年間750万人もが訪れる北海道屈指の観光地ですが、実はほんの30年前まではさびれた町だった!? そこに深く関係するのが『発展と衰退』の歴史です」。
「明治38(1905)年の日露戦争の勝利で南樺太との流通が拡大すると、小樽港の賑わいは一層増します。・・・人口は爆発的に増えました。3000人が住むだけだった漁村は、明治40(1907)年には、およそ30倍の9万人に!」。
「大正末期、小樽は日本を代表する経済都市にまで成長しました。最盛期には市内に25もの銀行(無尽会社を含む)が進出していました。しかし今、小樽にある銀行の支店は3行のみです。小樽の活況はなぜ失われ、なぜこうした建物だけが残ったのでしょうか」。
「小樽が衰退したのは、さまざまな原因が重なってのことです。まずニシンは昭和30年頃に沿岸の海から姿を消します。次いでエネルギーの主役は石炭から石油へ。隆盛を誇った海運も昭和40年頃から苫小牧の太平洋ルートが主流になり、小樽を支えた産業は次々と失われました。海運業者や銀行は小樽を去っていきましたが、空いた建物は壊すにもお金がかかります。衰退の一途をたどる小樽には、その力もありません。歴史的な建造物は『残した』のではなく『残ってしまった』のです。街に残った資源を、観光目的として利用するきっかけとなったのが運河でした」。
「運河をはじめ、繁栄時のまま残った資源を観光目的に再利用することで小樽は再生を遂げました。まさに衰退あってこその発展。その歴史に思いを馳せれば、街歩きの楽しみもひとしおです」。
街歩きを楽しみながら、勉強もできる一冊です。