澁江抽齋の後妻・五百は押しかけ女房だった・・・【情熱の本箱(184)】
情熱的読書人間・榎戸 誠
君は漱石派か鷗外派かと問われた場合、鷗外派と即答してきた私だが、31年前、森鴎外の最高傑作とされる『澁江抽齋』を最後まで読み通すのにかなりてこずったことを鮮明に覚えている。
エッセイ集『歴史の工房――英国で学んだこと』(草光俊雄著、みすず書房)に収められている「鷗外の史伝と社会史」という文章には、いろいろと教えられた。
「ある人の人生についてその人が果たした歴史的な役割を忌憚なく叙述することは、歴史家にとっても魅力的なテーマである。森鴎外の『澁江抽齋』は、まさに歴史家が、自分が強い関心を持った当時無名といってもよかった医師のことを執拗に探究する、その過程を丹念に書き進めながら人物に迫っていくという、まるで探偵小説を読むような興奮をもたらしてくれる作品である」。
いったい鷗外の史伝の何がそんなに魅力的なのだろうか。「わたしが『抽齋』に惹かれたのは文学作品としてというよりも、むしろ歴史を読んでいるという実感からではなかったかと思う。その歴史の方法や叙述が実に爽やかで新鮮に思ったのである。歴史家としての鷗外の姿が彷彿としてくるのであった」。「歴史研究の新しい息吹の中で、自分なりに手探りで勉強をしていたわたしに、鷗外は実にモダーンな、新しい社会史をすでに60年も前に開拓していた歴史家として映ったのだった」。
「鷗外の史伝に精彩を与えているものに『聞き書き』がある」。
「鷗外は一方でオーラル・ヒストリーを用いて叙述に彩りを与えたが、他方文献、特に定説を成している資料の文献批判にも熱心であった」。
「鷗外の手法は単に伝記を積み重ねていくだけではない。その中で当時のインテリたちの生活や風習が自ら浮び上がってくるところに特徴がある」。
ここまで言われても、『澁江抽齋』を再読しようという気にはなれないが、抽齋の後妻・五百に関する部分だけは読み返してもいいと思えてきた。「『澁江抽齋』を読む人の多くは、抽齋の後妻で、保の母五百の女性としての魅力に感動する。三島由紀夫なども『<澁江抽齋>で奥さんが風呂場から泥棒を腰巻一つで追つかける、あそこにほんとうに感動した』と述懐しているが、この五百は抽齋が三度目の妻を亡くした時に、知人を介して自ら抽齋の妻に売り込んだのだが、(伊澤)蘭軒の子柏軒の妻たかも『女のしかけた恋』であった」。