遺伝子組み換え食品は安全だと人々に信じ込ませた科学者の重大な責任・・・【情熱の本箱(150)】
『遺伝子組み換えのねじ曲げられた真実――私たちはどのように騙されてきたのか?』(スティーヴン・M・ドルーカー著、守信人訳、日経BP社)は、ビル・クリントン、ビル・ゲイツ、バラク・オバマに宛てて書かれた依頼状である。依頼の内容は、遺伝子組み換え食品(GMO)が安全で、かつ発展途上国の食糧事情を解決する切り札だというデマゴギーに騙されていたことに一刻も早く気づき、GMO廃止に立ち上がってほしいというものである。
かく言う私もこのデマゴギーに見事に乗せられ、GMOは安全だと思い込んでいたのだが、本書を読み終わった時点で、GMO即刻廃止論者に転身したことを告白しておく。ビル・クリントンらが本書の依頼に応えるかどうかは分からないが、本書がいずれ、1962年に出版されたレイチェル・カーソンの『沈黙の春』と同じようなバイブル的存在になることは間違いないだろう。
著者が分厚い本書で訴えたいことは、下記の5点である。①GMOの商業化は、米国食品医薬品局(FDA)の詐欺的な行為によって可能となり、それがなければ商業化はありえず、今もそれに頼り続けている。②FDAは食品の安全に関する連邦法に違反してこれらの新しい食品を市場に押し出し、これらの食品は今も違法のまま市場にある。③FDAの欺瞞は著名な科学者や科学研究機関によってばらまかれた偽情報によって強力に補完されていて、GMOの事業全体が慢性的かつ決定的にこうした偽情報に依拠している。④GMOの安全性は科学的に信頼できる方法で確認されたことはかつてなく、相当な数の研究でその安全性に疑問が投げかけられている。⑤これらの食品には受け入れがたいリスクがある。
GMO問題の核心は、バイオ産業ではなく、科学者たちの不誠実さにあると、著者は告発する。「(GMOについて)心配する人びとは、GMOを製造するモンサントや他の多国籍企業の違法行為に注目し、これらの企業にすべての問題の責任があるとみなしがちだ。しかし、そこで見逃しているのは、これらの企業も、科学界の(そして特に分子生物学の)主流派が基本的な事実について政府と国民を組織的に欺いてお膳立てをしないかぎり、GMOの商品化は不可能だった点だ。そして、この不正行為が成功し、広がった懸念が実質的に鎮められていなければ、利潤を追求するこれらの企業がそもそもGMOの開発に必要な巨額の資金を投資したかどうか疑わしい」。
「生物工学が農業にまで拡張され、GMOの事業がフル回転を始め、モンサントや他の多国籍企業が本気で乗り出してきたあとも、科学界の主流派は、その事業の生存がかかる偽情報をばらまくことについては主役を演じつづけた」。
だからと言って、バイオ企業が責任を免れるわけではない。「(GMOの)事業は、科学の原則と手続きを尊重せずに回避し、食品安全法令に従わずに違反し、事実を公明正大に伝えず計画的にあいまいにし、しばしばゆがめることによって前身してきた」からである。
遺伝子組み換え作物は収穫量をより多くでき、農薬散布が少なくてすみ、環境への悪影響がなく、もちろん食べて安全――というバイオテクノロジー企業の主張に著者は激しく反論しているのだ。
植物科学者のパトリック・ブラウンの言葉を引いて、バイオ技術者は自分たちには必要な知識が備わっていないことを謙虚に認めるべきだと厳しく戒めている。「『科学者として、この手法を安全に利用するための十分な知識を持っていないことを認める責任が、わたしたちにはある』と述べた。彼は説明する。『遺伝子の組み込みと発現を調節する過程についてのわたしたちの知識は、まだきわめて初期の段階にあり、植物のゲノム(全遺伝情報)を操作する能力は未完成であることを認めなければならない・・・』。そして、わたしたちの今の知識の大半は、この人工的方法が伝統的な技術と『まったく』違うことを示しており、『予期しない代謝の攪乱を引き起こすことはよく知られている』と指摘した」。
著者の結論は、単純明快である。こんなにリスクのあるGMOは私たちに必要ないというのだ。GMOの安全性が確認されない限り、遺伝子組み換えという手法に頼らずに、従来の伝統的な品種改良で対応すべきだというのである。
本書に出会えた幸運に感謝したい。人類をGMOのリスクから救い出したいという使命感に裏打ちされた、説得力のある一冊だ。