榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

辞書に人生を捧げた二人の偉大な編纂者の情熱と相克・・・【情熱の本箱(39)】

【ほんばこや 2014年7月6日号】 情熱の本箱(39)

分からない言葉に出会ったり、疑問を感じる言葉に遭遇したときは、必ず辞書で確認することが私の習慣になっている。従って、自宅でも会社でも、手近な所に国語辞典、新聞用字用語集、類語辞典、漢和辞典、英和辞典、英々辞典、和英辞典を備えている。

このように四六時中、辞書に助けられている私にとって、『辞書になった男――ケンボー先生と山田先生』(佐々木健一著、文藝春秋)は、まさに血沸き肉躍る力作で、最終ページまで一気に読み通してしまった。見坊豪紀(けんぼう・ひでとし)と山田忠雄という二人の不世出の辞書編纂者の情熱と相克の物語が、我々の胸に熱く迫ってくるのだ。

若い時分から、『明解国語辞典』(三省堂発行)を共同で作り上げてきた見坊と山田が、やがて決裂するに至った昭和辞書史上最大の謎が、その強烈な引力に引き寄せられた著者の粘り強い取材・調査によって解き明かされていく。そして遂に、二人の訣別の陰に出版社の思惑が絡んでおり、そのきっかけを作った意外な人物に辿り着く。これらの事実が徐々に解明されていく過程は、上質のミステリに引けを取らない。

東京帝国大学文学部国文科の同級生であった見坊と山田が『明解国語辞典(初版)』を完成させたのは、1943年のことであった。1952年に『明解国語辞典(改訂版)』を出版した後、二人は袂を分かち、見坊は1960年に『三省堂国語辞典(初版)』(三省堂発行)を、一方の山田は1972年に『新明解国語辞典(初版)』(三省堂発行)を作り上げる。以後、現在までに『三省堂国語辞典』は第7版と改訂を重ね、『新明解国語辞典』も第7版まで版を重ね、双方とも小型国語辞典の雄として好調な売れ行きを維持している。

辞書に人生を捧げた見坊と山田は、辞書に対する情熱と使命感は共通するが、辞書編纂に対するその姿勢は対照的であった。敢えて単純化すると、見坊の「進歩主義者」「現代的」「客観性重視の編纂方針」「語釈が短文・簡潔」「辞書は『かがみ(鏡であり鑑)』だ」「言葉は変化し続ける」対、山田の「伝統主義者」「規範的」「主観性重視の編纂方針」「語釈が長文・詳細」「辞書は『文明批評』だ」「語釈は独自性が命」ということになるだろう。辞書界の二大巨星であった二人は、対立しつつ、互いに存在感を放ちながら屹立し続けたのである。

それぞれの辞書で「恋愛」という言葉がどう表現されているかを見てみよう。「れんあい【恋愛】男女の間の、恋いしたう愛情(に、恋いしたう愛情がはたらくこと)。恋。(『三国』三版)」。「れんあい【恋愛】特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持を持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる・(まれにかなえられて歓喜する)状態。(『新明解』三版)」といった具合だ。

運命の日の1972年1月9日以降、関係が断絶した二人であるが、「現在、『三国(三省堂国語辞典)』の編者を務める飯間浩明さんに、二人の関係について尋ねた。『あくまで想像ですが、二人は互いを否定していたと思わない。むしろ、認め合っていた。進む方向は違う。(編纂において)山田先生は規範主義、見坊先生は現実主義。だからと言って、他方を切り捨てていたわけじゃない。相手側の辞書を、深く尊敬していたと思います。性格は違うが、その違いを乗り越え、お互い尊敬していたんだろうな、と』。辞書の個性や理想が違っていても、否定するわけではなく、むしろ互いに敬意を払う。それが、見坊豪紀と山田忠雄だった」。この部分に至って、正直言って、ホッとした私。