ネット時代のメディア戦争の勝者とは・・・【情熱的読書人間のないしょ話(757)】
散策中に、ホオジロ、シジュウカラ、餌を銜えたムクドリを見つけました。ムクドリは戸袋の中の巣で盛んに鳴いている雛たちに餌を運んでいるのです。ヒヨドリが高らかに囀っています。キジバトは、よく見ると意外に美しいですね。マガモたちが草原で草を熱心に啄んでいます。プレゼントしたばかりのスマホの操作法を、女房が懸命に勉強中です(私は頑固なガラケー主義者です!)。このところ、毎日、我が家の真ん前の電線で、カワラヒワが囀っています。庭の片隅で、小さなバラが咲き始めました。因みに、本日の歩数は16,413でした。
閑話休題、『なぜアマゾンは1円で本が売れるのか――ネット時代のメディア戦争』(武田徹著、新潮新書)には、ネット全盛時代を迎え、デジタルは活字を殺すのか、スマホはジャーナリズムを殺すのか、ネットはコンテンツを殺すのか――という3つの問いに対する著者の考えが提示されています。
「ネット(原住)民よりもさらに若いデジタルネイティブの世代にとって、ネットは生まれた時からあるのが当たり前で、リアルな生活の一部に過ぎない。そうした新しい世代の台頭による変化を踏まえて、これからのネットの世界を考える必要がある」として、ドワンゴ会長の川上量生の次の言葉を引用しています。「これまではリアルとネットは別の世界であると考えたほうが、ビジネスにとってもネット原住民にとっても都合がよかったのでしょう。しかし、ビジネスの面からも、単純なリアルの鏡像としてのネットのビジネスモデルという概念が使い古されてきて、よりリアルとネットを組み合わせた概念でないと、世の中を説得できない時代になってきました。また、ネットユーザの主流も、ネット原住民からデジタルネイティブたちへと移行しつつあります。ネットとリアルの融合が叫ばれるようになるのは必然といえます。ネットとリアルの融合とは、リアルの世界から見たバーチャルな人間の想像とネットの世界がひとつになる過程であり、人間が住む世界としてのリアルとネットがひとつになる過程でもある」。
リアルとネットの融合のあり方として、著者はドワンゴの「ニコニコ超会議」を高く評価しています。「超会議にもネットの時代になお残った信念や思念、情動や欲望が噴出している。一度溶けた角砂糖が再び元の白く整った行儀の良いかたちに戻るはずもない。超会議には過去に見たこともない雑多な混交があり、もの狂おしいほどのカオスが展開される。そんな光景を新しく蘇った詩=コンテンツとして認められるか――。それがリアルとネットが新しく融合する時代に向けて開かれた扉をくぐりぬけられるかどうかの、ひとつの感性の分かれ道になるのだろう」。
私のような、ネット原住民の前の世代に属する者にとって、本書は混沌とした暗闇を照らす一灯の役割を果たしてくれます。