榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

君は、中央ユーラシアの最後の遊牧帝国ジューンガルを知っているか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(774)】

【amazon 『最後の遊牧帝国』 カスタマーレビュー 2017年6月7日】 情熱的読書人間のないしょ話(774)

散策中に、ノコギリクワガタの雄を見つけました。ヤマグワが黒い実を付けています。スイセンノウは赤紫色の花を咲かせるものがほとんどで、白色のものは滅多に見かけません。黄色い花と長く伸びた黄色の雄蕊が優美で華やかなビヨウヤナギが目を惹きます。黄色い花を咲かす、同じオトギリソウ科のキンシバイも頑張っています。因みに、本日の歩数は10,272でした。

閑話休題、モンゴル帝国が歴史の表舞台を去った後、その後裔たちはどうなったのか気にかかっていたのですが、『最後の遊牧帝国――ジューンガル部の興亡』(宮脇淳子著、講談社選書メチエ。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)が、その疑問に答えてくれました。

「歴史書によると、モンゴル帝国『崩壊』後の中央ユーラシア草原は、全く暗黒の時代であったように見える。かつての広大なモンゴル帝国の領域は、『野蛮な遊牧民が文明の中心を離れて、昔の無秩序な生活に戻った』かのように説明され、曲解されてきたのである」と、著者が怒っています。

「本書の主人公ジューンガル部族は、17世紀末に突然歴史の表舞台に登場し、中央アジアに一大遊牧帝国を築いた。しかし18世紀中葉には、古くからの遊牧帝国と同様、相続争いによる内部崩壊を起こし、この機を利用した清朝に討伐されて滅んだ。ジューンガルの人びとは、清軍のもたらした天然痘の大流行と虐殺によって、ほとんど絶えたといわれる。しかし、ジューンガル部族と同盟関係にあって、これとともにオイラトと総称されたドルベト部族やトルグート部族やホシュート部族の人びとは、いまもモンゴル国西部、中国の新彊ウイグル自治区北部、ロシアなどに分かれて暮らしている」。「18世紀中葉のジューンガル帝国滅亡後、中央ユーラシア草原には、かつてのような遊牧帝国は二度と生まれなかった。ジューンガルは、中央ユーラシアで活躍した最後の遊牧帝国だった」。

「元朝が1368年に中国を失ってモンゴル高原に退却したあと、1634年に、元朝の創始者フビライ・ハーン直系のチャハル部のリンダン・ハーンが死ぬまでの北アジア史を、われわれモンゴル史研究者は北元時代とよぶ。その北元時代のモンゴル高原は、新たなモンゴル民族とオイラト民族の対立・抗争の歴史であった」。

「『最後の遊牧帝国』とよばれるジューンガルの経済の基盤は、古来の遊牧帝国と同様、内陸貿易の拠点をおさえて遠距離の交易から利益を得ることと、周りの異民族を襲撃して家畜や領民を掠奪するとともに、かれらから貢納を徴収することであった。遊牧民の騎馬軍団は機動力に富むことはもちろんであるが、ジューンガル軍は、火器などの、当時最高の軍事技術も取り入れていた」。

「17、18世紀に中央ユーラシア草原を席巻した最後の遊牧帝国ジューンガルの実体は、ジューンガル部長を盟主とするオイラト遊牧部族連合であった。古くは匈奴以来、鮮卑や柔然や突厥やウイグルやモンゴルなど、北アジアや中央アジアで消長を繰り返したいわゆる遊牧帝国も、ジューンガルと同じような遊牧部族連合だったに違いない。広い草原に家畜を放牧するため、人口が少なく分散して生活する遊牧民を構成員とする国家は、このような仕組みを取る以外に存立し得なかったのである」。

中央ユーラシアの歴史は奥深いことを再認識しました。