榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

『北の国から』の演出家自身の、30歳年下の女性との愛のドラマ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(849)】

【amazon 『願わくは、鳩のごとくに』 カスタマーレビュー 2017年8月16日】 情熱的読書人間のないしょ話(849)

雨がなかなか降り止まないので、散策を諦め、地元の「里山の自然誌」展を見に行きました。剥製ですが、ニホンノウサギ、タヌキ、アライグマ、ニホンイタチ、アカネズミ、ハタネズミ、ハツカネズミ、カヤネズミ、アズマモグラを間近で観察することができました。熱心に写真を撮っていたら、読売新聞の記者から取材されてしまいました。

閑話休題、『願わくは、鳩のごとくに』(杉田成道著、扶桑社文庫)は、22年間に亘りテレビ・ドラマ『北の国から』の演出を担当した杉田成道の、30歳年下の依里との再婚、そして3人の子育ての記録です。

本書は、再婚の経緯から、第一子誕生、第二子誕生、第三子誕生へと話が進んでいきます。

「変と言えば、まったく変であった。こんな秘密クラブのような場所で結婚披露宴をやるのも変なら、新郎57、新婦27、年齢差30、というのはもっと変であった」。

「ちょうど50の年に、女房が死んだ。病名は癌であった」。

「ある日、かくのごとく告白された。私(依里)は自立しなければならないと思う。お父さん(僕のこと)の老後を考えたら(食わせるつもりなのか)、どうしてもそうしなければならない。従って、いまの銀行は辞める。辞めて、数学の教師になる」。

「『・・・お医者様になろうと思うの・・・』。『・・・ハイ?』。ワイパーがカタカタと音を立てた。意味不明のハイ?が、ワイパーの音に消された。『小さいときからの夢だったし・・・いつもでも、お父さんがお金もらえるわけでもないし、それに・・・介護の問題だってあるし・・・』。・・・『ちょうど医者になるころは、お父さんは年金生活ね。これで、介護も十分ネ』」。

結婚式前日の依里からのメールの一節。「依里にとってあなたはとても大きな存在で、そんなあなたが幸せでいてくれたらいいなあ、と思います。まあ、私があなたに恋をしているあいだは、あなたも幸せだと思うので、あなたが90歳くらいまで長生きしても大丈夫でしょう。幸せにするからね。信じていてね」。

「そんなころ、僕のもう一つの人生は、重大な岐路を迎えていた。22年続いた『北の国から』が、終わろうとしていた。・・・(俳優と)同じように、僕らスタッフも、それぞれ『北の国から』と人生を交差させていた。出会い、別れ、結婚、離婚、出産、そして死。さまざまな出来事が『北の国から』とともに記憶に織り込まれた」。

「(第一子を出産した)産婦は3日目から学校(東京女子医科大学)に通いだした。病室から乳児をちょっと預け、授業を受けて、戻ってちょいっと受け取る。おかげで学校はほとんど休んでない。しかも、当たり前という顔をしている。どう見てもエイリアンだ」。

「これが、延々と続く『地獄の育児日記』の始まりになろうとは、いかな僕でも予期できなかった」。

遊園地などでは、しょっちゅう、「おじいちゃんと一緒でいいわねェ」と言われます。「すると、30直前の若き妻が、『いえ、夫です』と、きっぱりと言う。こういうときである、女が凛として美しく見えるのは。まったく、ウジウジと逃げ出そうとする男は弱い」。逞しい若妻と気弱な老兵のコントラストが笑いを誘います。

「我が家はただいま、6畳1間いっぱいに3つの布団を敷き、両端に僕と妻が防波堤となるように寝て、あいだに7歳、5歳、2歳の3人の子供が、夜中、縦横斜め、自由奔放に転がり回って寝ている。かつ朝になると、押し入れに首を突っ込んでいるのやら、蹴飛ばされて壁に押しつけられ藻掻いているのやらで、並べ替えるのに一苦労する」。

「徳川家康、最後の子供は62歳のときの子である。僕は63歳、1つ勝ったと喜ぶよりも、寂寥感の方が勝る」。

「家族も5人ともなると、4人のときと些か趣を異にする。とにかく忙しい。手が足りぬ。赤ん坊は母親がかかりきりになる。もちろん、病院勤務もあり、週に1度ほどの当直もある。よって、上の2人は我が手に一手に掛かってくる。朝の保育園、幼稚園の送りと、夜の寝かしつけはおおむね僕の仕事となる。ここにもう一つ、難事業が襲いかかった。お受験である。実は2年前、若妻は突然お受験に目覚めた」。

著者から依里への手紙の一節。「そこに、思ってもいない新しい生命が誕生した。それだけで驚きだが、あなたはなんの苦もなく、ただ楽しげに、舞うが如くに、次々に3人もの命を産み落としました。それは、僕の世界を一気に変えました。もう一つの世界――未来――が生まれました。・・・『お父さんはこんな人だったのよ――って、私から伝えることできないから――そんなつもりで、書き遺して――』と、あなたから言われ、なにやら遺言めいて書き進めたものです」。

迂闊というか、読み終わって漸く、これは単なる育児日記ではなく、活字の世界に居を移した著者の演出による愛のドラマであることに気づきました。