16年ぶりに再会した恩師は難病の病床にあった、そして個人授業が始まった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(851)】
散策中、数十年ぶりにギンヤンマの雄を見つけました。水色の腹部を輝かせ、直径60mほどの縄張りを高速でパトロールしています。ウシガエルのウシのような鳴き声を聞きながら、30分ほど粘ったのですが、非常に不鮮明な写真しか撮れませんでした。シオカラトンボの雄はばっちりカメラに収めることができました。因みに、本日の歩数は10,868でした。
閑話休題、『モリー先生との火曜日』(ミッチ・アルボム著、別宮貞徳訳、NHK出版)の著者、「ぼく」が16年ぶりに再会した大学時代の恩師、モリー・シュワルツ教授は難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症し、病床にありました。
「恩師の生涯最後の授業は、週に1回先生の自宅で行われた。書斎の窓際で、小さなハイビスカスがピンクの花を落としていた。毎週火曜日、朝食後に始まる。テーマは『人生の意味』。経験をもとに語られる講義だった」。
「モリーは今では一日じゅう車椅子で、椅子からベッド、ベッドから椅子へと、ヘルパーに重い袋同然の扱いで移されるのにも慣れっこになっていた。食事の間にも咳きこむようになり、ものを噛むのが一仕事だった。脚は死んでしまい、もう二度と歩くことはできない。それでも気持ちは負けなかった。それどころか、もろもろの考えを受け止める避雷針になった。思いついたことは、メモ用紙、封筒。広告、紙くずなど、何にでもメモしておく。こうして書いた、死の影落とす人生をめぐる一口哲学は、『できることもできないことも率直に受け入れよ』『過ぎたことにとらわれるな。ただし、否定も切り捨ても禁物』『自分を許すこと、そして人を許すことを学べ』『もうチャンスはないと思いこむな』などなど」。
「『ミッチ、さっき君、私が知りもしない人のことを気にかけているって言ったけれど、この病気のおかげでいちばん教えられていることは何か、教えてやろうか?』。何でしょう。『人生でいちばん大切なことは、愛をどうやって外に出すか、どうやって中に受け入れるか、その方法を学ぶことだよ』」。
著者の「ご自分が情けなくありませんか」という問いには、「必要なときには、まず思いっきり泣く。それから、人生にまだ残っているいいものに気持ちを集中する。会いに来ることになっている人のこととか、聞く予定の話とか。火曜なら、君のこと。われわれ火曜人だからね」という答えが返ってきました。
「『何でも質問して』とモリーはいつも言う。それでぼくはこんなリストをつくった。死、恐れ、老い、欲望、結婚、家族、社会、許し、人生の意味」。
「『誰でもいずれ死ぬことはわかっているのに、誰もそれを信じない。信じているなら、ちがうやり方をするはずだ』。みんな自分をだましているんですね。『そのとおり。しかし、もっといいやり方があるよ。いずれ死ぬことを認めて、いつ死んでもいいように準備すること。そのほうがずっといい。そうしてこそ、生きている間、はるかに真剣に人生に取り組むことができる』」。
「死に直面すれば、すべてが変わる? 『そうなんだ。よけいなものをはぎとって、かんじんなものに注意を集中するようになる。いずれ死ぬことを認識すれば、あらゆることについて見方ががらっと変わるよ』。そして、はあっと息をつく。『いかに死ぬかを学べば、いかに生きるかも学べる』」。
「問題の一つは、みなさん、ずいぶん忙しいってことだね。人生に意味を見いだせないので、年がら年じゅうそれを求めて駆けずり回っている。次はこの車、次はこの家と考えるんだが、それもやっぱり虚しいとわかって、また駆けずり回る」。
「先生、もし申し分なく健康な日が一日あったとしたら、何をなさいますか? 『24時間?』。ええ、24時間。『そうだな・・・朝起きて、体操して、ロールパンと紅茶のおいしい朝食を食べて、水泳に行って、友だちをお昼に呼ぶ。一度に2、3人にして、みんなの家族のことや、問題を話し合いたいな。お互いどれだけ大事な存在かを話すんだ。それから木の繁った庭園に散歩に出かけるかな。その木の色や、鳥を眺め、もうずいぶん目にすることのできなかった自然を体の中に吸収する。夜はみんなといっしょにレストランへ行こう。とびきりのパスタと、鴨えお――私は鴨が好物でね。そのあとはダンスだ。そこにいるすてきなパートナー全員と、くたくたになるまで踊る。そしてうちへ帰って眠る。ぐっすりとね』。それだけですか? 『それだけ』」。
自分に死が迫ってきたとき、モリーのような気持ちで生きることができるか、考えさせられる一冊です。