清少納言が、こんなに官能的な女性だったとは・・・【情熱的読書人間のないしょ話(903)】
散策中に見かけた花の名前が、図鑑やネットで調べても分からないので、植物に詳しい柳沢朝江さんに助けを求めたところ、植物仲間の菊地洋子さんからハクチョウソウ(ヤマモモソウ、ガウラ)と教わったとの回答が得られました。漢字では、白鳥草ではなく、白蝶草とのことです。庭いじり中の主に、ザクロの写真を撮っていいですかと尋ねたところ、少しお持ちになりませんかと、一枝折ってくれました。種が多いですが、想像を超える甘さでした。中秋の名月を見ることができました。因みに、本日の歩数は14,073でした。
閑話休題、いろいろな訳者の手になる『源氏物語』の中で、私に一番しっくりきたのは、『謹訳 源氏物語』(林望著、祥伝社、全10巻)でした。その林望の読書論ということなので、『役に立たない読書』(林望著、集英社インターナショナル)を手にしました。
「大切なのは、『読んだ本の内容について考える』ことです。読書がその人の叡智の形成に作用を及ぼすとしたら、それはたくさん読んだからではなく、本にまつわる『考える営為』のゆえである。だから大切なのは、考え考え読んでいくことなのです。この考える営為は、読んでいる最中のみならず、読む前にも必要です。自分はいま何が読みたいのか、自分にとっていま何が必要なのか、ということをよくよく考えてから読み始めることが大切なのです。内的な契機のない読書に意味はないと私は考えています」。
「いま読むべき本はなんなのか、いま自分にとって必要な知識はなんだろうか、ということを日頃から思いめぐらしていて、それにしたがって読む本を選ぶというプロセスが、読書の前提条件として大切です。それなくして、ただ学校の課題図書だからとか、物知りオジサンから『読んでいて当然だ』と言われたとか、そういう外から与えられた情報のみで本を選ぶと、結局は自分の血肉にはならず、むしろペダントリーへの道を行くことになりがちです。同じ時間を費やし、同じ努力をするなら、他人はどうあれ、自分にとって『心の栄養』となるような本を読んで、豊かなインテリジェンスへの道を行きたいものです」。
「(自分の)経験から『読書に貴賤なし』と私は考えます。何々主義の本も、古典の名著も、大藪春彦も、自分にとって力を与えてくれるのであれば、すべて意味のある読書です。私の周囲を見渡すと、幅広く読書をしている人ほど、面白い人が多い。自分の専門分野には関係ないけど、これがちょっと気になるから読んでみようと、心がフリーハンドの状態にある人は総じて魅力的です。それに対して、一つの分野に拘泥して、ペダンティックに、あれも知っているこれも知っていると知識をひけらかす人は、どうも人間的に面白くない。つまり、大事なのは、専門分野における深い研究と広い教養をバランスよく兼ね備えることなのでしょう」。この指摘には、思わず大きく頷いてしまいました。
「作家の丸谷才一さんは、エッセイの良し悪しを決めるのは『抄出の妙』だと言いました。先人の書いた書物の中から、いかにしてどんぴしゃりの部分を引いてくるか。この技術が、エッセイの出来を左右するというわけです」。引用大好き人間の私は、敬愛する丸谷才一のこの言葉に大いに励まされました。
一部が紹介されている『リンボウ先生のうふふ枕草子』を無性に読みたくなってしまいました。こういう口語訳を読まされたら、誰でも興味を掻き立てられることでしょう。「――男というものは、この暁の別れのときの様子が肝心で、ここぞとばかり情緒纏綿とした様子であってほしい。たとえば、こんなふうに。自分からさっさと起きたりしないで、なんだか知らないけれどいつまでも寝ていたいというような様子で寝床にいるところを、女のほうから、強いてせっついて『ほら、もう夜が明けちゃうわよ。ね、人に見られたら大変でしょ、起きてね』などと言わせて、そう言われて初めて、大きな溜め息なんかついたりしている、その様子は、『ああ、やっぱりもっといっしょにここに寝て居たいのね』と女に思わせてくれる、そうでなくてはね・・・」。これまで枕草子は読んだことがありますが、清少納言が、こんなに官能的な女性とは知りませんでした。