釈迦が創始した原始仏教と、その後、現れた大乗仏教との違いのポイント・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1003)】
散策中、盛んに鳴き交わす20羽ほどのシジュウカラの群れに出くわしました。池の縁の藪でアオサギがじーっと佇んでいます。因みに、本日の歩数は10,275でした。
閑話休題、『ブッダたちの仏教』(並川孝儀著、ちくま新書)のおかげで、釈迦が創始した原始仏教と、その後、現れた大乗仏教との違いを、明快に理解することができました。
先ず、仏教の歴史の概略を見てみましょう。「ゴータマ・ブッダが亡くなって100年余りして仏教教団は上座部と大衆部の2つに根本分裂し、原始仏教から部派仏教の時代に入ったとされる。年代的にはアショーカ王が即位していた紀元前3世紀中頃以降には数多くの部派が興ったといわれ、歴史上には説一切有部を始めとして18とも20ともいわれる部派が存在したと伝えられている」。
「ゴータマ・ブッダの教えの解釈や研究をアビダルマというが、このことから部派仏教は別名アビダルマ仏教ともいわれるのである」。
「紀元前後頃、部派仏教の出家主義を批判しつつ、新たにゴータマ・ブッダの教えを大きく転回させた大乗仏教は、ブッダ観にも大きな展開を生む。・・・大乗仏教になると、ゴータマ・ブッダを一人の偉大な完成者としって尊崇するのは勿論のこと、何よりも彼の悟った真理(法)そのものに対する信仰が強調され、それまでの歴史的ブッダから普遍性や救済性に焦点を合わせた新たなブッダが誕生する。つまり、ゴータマ・ブッダに取って代わり崇拝と信仰の対象となる普遍なるブッダの出現である。・・・具体的にみると、『無量寿経』に説かれるように無限の光明と無限の寿命をもつ阿弥陀仏が西方極楽浄土に存在しているという他方仏の考え方が起こった。さらには、『華厳経』や密教の『大日経』、『金剛頂経』の教主として中心的尊格として説かれる毘盧遮那仏、大日如来のように、この世の十方いたるところに遍満しているブッダも説かれるようになった。こうしたブッダは数多く出現し、ゴータマ・ブッダが悟った真理そのものがブッダとして普遍化され、一方で救済者として人々の信仰の対象となったのである。一方、『法華経』のようにゴータマ・ブッダがガンジス河中流域のブッダガヤで悟りを得たのは方便であって、実際は遥か過去に悟っていて、衆生を教化し続けてきたと理解し、ゴータマ・ブッダに永遠の生命をみる、いわゆる久遠実成のブッダを唱えた立場も存在した」。この説明によって、大乗仏教の全体像が、よく分かります。大乗仏教では、時代や地域の変遷によって人々が求める理想のブッダが数多く産み出されることになったのです。
大乗仏教は、自分たちの仏教の本質をどのように主張したのでしょうか。「このように、大乗仏教の説くブッダは、ゴータマ・ブッダが悟った真理をブッダ化して普遍性と救済性を伴う存在へと大きく転換するものの、依然としてゴータマ・ブッダの教えを継承していると考え、大乗仏教の教えも仏説であると主張した。つまり、新しく創出されたいずれの大乗経典もゴータマ・ブッダの直説を継承した仏説であると位置づけたのである」。
「しかし、こうした主張に対して大乗経典は仏説ではないという立場も存在する。この大乗非仏説は、大乗経典はゴータマ・ブッダが説いた経典ではないとする考え方である」。
「大乗仏教になると、『大智度論』にみられるように三千大千世界には複数のブッダが存在するという立場をとった。いくらブッダであっても、その無量の威力と無量の神通力ですべての衆生を一人残らず救済することは不可能であるとした」。
「仏説」とは、何なのでしょうか。「『仏説』とは文字通り『ブッダの説いた教え』を意味する。この語は経典の内容がブッダの教えであるかどうかを判断する基準ともなり、また後の大乗仏教では大乗経典がブッダの教えに基づいているのか否かという論議の際の基準ともなっている重要な用語である」。