藤沢周平の肉声が聞こえてくる一冊・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1009)】
あちこちに、まだ雪が残っています。因みに、本日の歩数は10,268でした。
閑話休題、『藤沢周平 遺された手帳』(遠藤展子著、文藝春秋)は、藤沢周平が遺した手帳の中身と、長女の展子の解説で構成されています。
一番目の妻・悦子を亡くした周平の哀しみ、文学に対する周平の思いが伝わってくると同時に、周平、二番目の妻・和子、展子の睦まじさが窺われます。
「芥川賞はいらないが直木賞は欲しい。達者にならないで、初心な文章を書くように努力しよう。でないと僕の文章はだらくするだろう」。
<ようやく落ち着いて親子三人で暮らせるようになったのに、母(悦子)のガンが宣告されました。しかし、なんとか切り抜けようという、父の固い決意が感じられます>。
<まだ二十八歳と七か月。若すぎる母の死でした。・・・やっと幸せに暮らせると思った矢先にこんなことになって、父が生涯私に言い続けた『普通が一番』という言葉とはほど遠い、私たち家族のはじまりでした>。
「その死をみ、そんな悲しみはまだ胸の中に重い。悦子が死んだことをまだ十分納得できない。死に向かっていそぐその日々の記憶が哀れに生々しくよみがえる。可哀想な悦子。お前がもうこの世にいず、もう一度かたわらに帰ってこないなどと、どうして信じることができよう。しかしきびしいかな、これが人生というものなのか。人は死をまぬがれることができぬ。展子のために、生きられるだけ生きてやらねばならないだろう」。
「原稿を書き終わって、写真をみる。悦子がそこに笑っている。悦子はどこに行ったのだろう。あの顔や、声や、手はどこへ行ったのだろう」。
「悦子がいないということがどうしても納得できない。僕の眼にはまだ悦子の身ぶりや姿が見え、その声も聞こえるのにもうこの世にいないということはどういうことなのだろう。悦子とのことは全く終わってしまったというのだろうか」。
<父の小説の書き方は、一つの作品をじっくりと何度も書き直して、完成形に近づけていくやり方でした。それは私の夫が父の原稿の整理をしていて見つけた、草稿の多さからわかりました>。
「流行作家になる積りは全くないので、文学の匂いがする時代物の完成に全力を盡すべきだろう。その喜び以外に小説を書く理由があるとは思えない」。
「作家というものが、何となくくだらない人種におもえてならないことがある。そうかと言って、品行方正、もって他の模範となるような人物は、作家として、大したことはあるまいという気もする」。
「しかし小説というものは、所詮小説でしかないと思うこともある。たとえば、これから百冊の本を書くとしても。作家になったとしても、それを誇るようなことはしまい」。
「別にお金を溜める必要はない。好きなものを書けばいいのではないか」。
<父はお金にはあまり興味がなくて、母(和子)と結婚したころは貯金通帳を持っている人は特別な珍しい人だと思っていた、と母に言ったそうです。それを聞いた母は、父の言葉に唖然としたと言っています。けれど、作家という職業になってからも父の貯金に対しての考えは変わらず、お金のことは生涯母にまかせっきりでしたが、上手くしたもので、母はお金の管理がとても上手だったし、事務的なことが好きでした。ですから、父がいうように、印税をきちんと貯金して、食べるのに困らないようにはなっていました>。
「選び抜かれた日常語というものがあるかも知れない。陳腐で、手垢のついた言葉の中に重いものがあるかも知れない。気のきいた表現は不必要かもしれない。人生の重みをになってきた言葉があるかもしれない。そう言う言葉で一篇の小説を書いてみたい気がする」。
「午後、ママ(和子)と展子がおつかいに行って、図書館に行ったら『暗殺の年輪』を一八人も借りていたそうだ。小説を書く以上、やはり読まれなければ面白くないわけで、まあまあの読まれかたをしていることはひと安心というべきか」。
「いまは何でも書けるような気がしている。三月は仕事が多く、それを全部こなせるかどうか、ひとつの山だった。そういう緊張状態を自分で作り出したといえる。それをどうやら無難にこなしたことで、少し仕事の上の自信がついた気がする」。
<散歩と喫茶店とパチンコはこの頃の父の大事な、気分転換でもありました>。
「毎日新聞のアンケートによる読者調査では、時代小説にもとめるものは『面白い』ことらしい。それでいいのだが、面白さの値が低いものであってはならないだろう」。
「最近の少し薄味と言われた。本人も認めるところだが、やはり注意すべきだろう。大した才能ではないのだから、浪費するとすぐ底がみえてくる。しかし、沢山書きながらみえてくるものもあるわけで、このあたり確かめながらすすむしかない」。
「よく遊び、よく書き、そしてつまらない雑用はやらないようにしたい。・・・私も四八。ここらであと二、三年の間に藤沢周平の小説世界といったものを確立したい」。
「徹底して美文を削り落とす作業にかかろう。美文は鼻につくとどうしようもないほどいやみなものだ。いまどき、形容詞に憂身をやつす文士はいないだろうと思ったりする」。
周平の肉声が聞こえてくる一冊です。