19世紀に、密林に埋もれていたマヤ遺跡を次々に発見した胸躍る探検記・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1193)】
フロックス・パニキュラータ(宿根フロックス、クサキョウチクトウ)が桃色、赤紫色、白色の花を咲かせています。キアゲハがその蜜を吸おうと飛び回っています。シオカラトンボの雌(ムギワラトンボとも呼ばれる)もやって来ました。ヤマハギが紫色の花を付けています。アブラゼミの雌を見かけました。我が家の塀にアブラゼミの抜け殻が残されています。因みに、本日の歩数は10,008でした。
閑話休題、スウェン・ヘディンの『さまよえる湖』(スウェン・ヘディン著、関楠生訳、白水社)を読んだ時と同じ種類の興奮を覚える探検記に出会いました。『マヤ探検記――人類史を書きかえた偉大なる冒険』(青土社、上・下)を読み始めてから最後のページを捲るまで、自分も探検隊の一員になったかのような気分を味わうことができました。
19世紀に、中米のグアテマラ高地やユカタン半島にやって来た博物学者や探検家たちが、建造物の廃墟や辺りに散らばった石柱の破片などを調べたが、誰が造ったのか分かりませんでした。
当地方の深いジャングルの中を、1839年と1841年の2度に亘り探検したジョン・ロイド・スティーヴンズとフレデリック・キャザウッドの二人は、廃墟と化し密林に埋もれている建造物の起源が専ら土着のもので、そこに住む先住民たちの祖先、古代マヤ人の想像力と知能が造り上げたものだと推測したのです。今では、考古学者たちの間で、二人はマヤ研究の創始者、マヤ考古学の先駆けと位置づけられています。マヤ文明の絶頂期(古典期)は、およそ4世紀から10世紀までの600年ほど続きました。
米国人の弁護士、紀行作家のスティーヴンズと英国人の建築技師、画家のキャザウッドがペアを組んで探検に出かけたのは、スティーヴンズが34歳、キャザウッドが40歳の時でした。
訳者後書きに、こうあります。「絶え間なく襲う熱帯熱の発作や、肉体的な苦痛に耐えながら、二人はジャングルを切り開き、廃墟をつぶさに計測して貴重な記録を残した。写真技術がまだ発明されていなかった時代――利用できたのは、プリズムを使ったカメラ・ルシドという機器や、ダゲレオタイプと呼ばれた銀板写真だけだ――だったので、もっぱらキャザウッドは、建造物や石柱を綿密にスケッチしたり、石柱に刻まれたヒエログリフ(聖刻文字)を、正確に写し取る作業に専念した」。本書には、キャザウッドの精密なスケッチが多数収録されているが、著者が近年、撮影した写真と寸分違わないことに驚かされます。
「内戦が止むことのない地方で、人跡未踏のジャングルへと分け入っていく。待ち構えているのは、吸血鬼さながらの蚊やダニ、マラリア、暑熱、豪雨、泥濘などだ。そんな苦難と危険に耐えながら、彼らはマヤの廃墟を探索しつづけた」。遺跡の謎を解明したいという抑え難い気持ちが、二人をこれらの困難に立ち向かわせたのです。
第1回の遠征では、ホンジュラス湾のイギリス領ベリーズから上陸し、グアテマラ低地のペテン盆地を迂回するようにして、コパン、キリグア、トニナ、パレンケの各遺跡を巡り、第2回の遠征では、ユカタン北部のマヤパン、ウシュマル、カバー、チチェン・イッツァ、トゥルムの遺跡を訪れました。
コパンの遺跡に辿り着いた時の様子は、このように記されています。「スティーヴンズとキャザウッドは、精神的にも肉体的にも疲れ果ててしまった。広場の端に腰を下ろして、ついさっき自分たちが見つけたことを理解しようと努めた。こんなモニュメントやピラミッドを作ったのは、いったいどんな人々なのか? 二人は知りたいと思った。それに、どれくらい前に作られたものなのか? 渓谷の住人たちはまったく知らなかった。書かれた記録もないし、どうやら世代から世代へと口づてに伝えられた伝説もなさそうだ。<すべてはミステリー。暗くて不可解なミステリーだ>とスティーヴンズは書いている。ここでは神殿やピラミッドは深いジャングルに埋もれていて、時も歴史も失われている。スティーヴンズはこの不可思議なものを、何とかしてとらえようとした」。
パレンケの遺跡を前にして。「スティーヴンズを驚かせたのは、パレンケの大きさではなかった。二人が発見した範囲の中で、彼は自分の想像力を自由に羽ばたかせることができた。<われわれが目の当たりにしていたのは、壮大で、好奇心をそそる、十分に驚くべきものだった。ここに住んでいたのは、文明化し洗練された独特な人々だ。彼らは、国家の興亡のあらゆる局面をくぐり抜けて、黄金時代へ到達し、そして崩壊し、そのあとでは完全に忘れ去られてしまった。われわれが住んでいるのは、殻らの王たちがいて、今は廃墟となった宮殿だ。われわれは荒れ果てた神殿や、打ち倒された祭壇へも行った。移動するたびに目にするのは、さまざまな証しだ。それは彼らの審美眼や、芸術における技量の証しだったり、彼らの豊かさや力の証しだったりする。廃墟や遺跡の中にいて、私は過去を振り返っている。ほの暗い森を切り開いて、すべての建物が、完璧な姿をしているさまを心に思い描く。建物にはテラスがあり、ピラミッドがあり、彫刻が施され、色が塗られた装飾がある。建物は壮大でそびえるほど高く、堂々としていて、人々が居住する広大な草原をはるかに望んでいる。壁から、悲しげにわれわれを見つめている見知らぬ人々を、われわれは生き返らせて、戻って来いと叫んだ>」。スティーヴンズのロマンティックな心情が伝わってきます。
「失われた世界を求めて、ひたすら旅を続けるスティーヴンズとキャザウッドだが、彼らにとって、困難や危険はもうたくさんだということには、けっしてならないようだ。ふたたび蚊やダニや病気、それに政治的激変に行き当たるかもしれない。それなのに二人はまた、ハリケーンの季節のさなかに――2年前と同じだ――海へ航海する道を選んだ。そして乾期がはじまるまでには、何とかユカタンへ到着しようと急いだ」。
チチェン・イッツァで。「いつものことだが、スティーヴンズは高ぶる感情を抑え切れない。彼の熱意は少しも衰えておらず、チチェン・イッツァのことを、迷わず<壮大そのものだ>と宣言した。ウシュマル同様、建物の多くが堂々としていて、途方もない規模で建てられている。しかも保存の状態がいい。・・・この遺跡には、これまで彼らが他の遺跡で遭遇したすべてのものがある。そして中にはそれが、よりすばらしい状態で存在していた。・・・ここにあるのは、これまでに見たこともないほど印象的な階段ピラミッドだった。四面に付けられた階段が、頂上の神殿へと上っている、4つある階段の1つで、スティーヴンズは『2匹の巨大なヘビの頭部』があるのに気づいた。階段の一場下、地面に下顎をつけた形で、両側にならんでいる。長さが10フィート。口を大きく開けて舌を突き出していた。・・・神殿の外側のプラットフォームに立って見下ろしたとき、木々の間に彼らは、これまで一度も出会ったことのないものを見た。<この高みからはじめに見えたのは、丈の短い円柱群だった。調べてみるとそれは、これまで遭遇したことのなかった、理解しがたい異例の遺跡であることが分かった。円柱は3列、4列、そして5列にならんで立っている。多くの烈が同じ方向へ続いていた。・・・が、倒れている円柱もたくさんある、場所によっては、同じ方向に、列を成して横になっていた。それはまるで意図的に打ち倒されかのようだ。・・・私は円柱の数を380まで数えたが、おそらくそれ以上あっただろう>」。チチェン・イッツァには、巨大な球戯場まであったのです。
フィクションでない本物の探検記には、心を揺さぶられますね。